しっかりと地に足をつけて、されど頭は雲のうえ。

あなたの囚われている枠を壊し、想像を超えた自由を実現させます

頭の上がらない人、なんてものはこの世界に存在しません ~Rewrite of 『俺たちにもできる!!』~

おはようございます

 

 

guts koporu takkaです

 

 

昨日シェアハウスのポストに聞いたこともない宅配ピザのチラシが入っていました

聞いたこともないわりには『ピザハット』とかそのへんと変わらない雰囲気を醸し出すビラ

 

「はは~ん。さては北海道の人間にはわからない、〝上陸してない系〟のチェーンだな?クリスピークリームドーナツみたいな、北海道には来てないやつ

道産子だからといって舐めおって!!

 

と思ったかどうかは別として、シェアハウスならではというか、

その夜何人かで割り勘をしてピザを注文しました

結局こっちの人も誰もそのピザ屋の存在を知らなかったんだけど、届いてみたら箱に

 

『ありがとう、35周年』の文字…

 

人知れず35周年…

ってわけでもないんだろうけど、ここまで微妙な知名度なのにあの「大手チェーンです」みたいな雰囲気はなんなんだろう、とちょっとおかしかったですね

 

さあ、なんてピザ屋かめちゃくちゃ気になってきたでしょう?

 

もちろん、忘れました

覚えてたら最初っから名前書いてます

 

 

怒らないでくださいね

なんせ35年間ひっそりと続いてきたピザ屋さんです

一発では名前が覚えられない感じだから‥

そういう感じなんですよ

 

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さて、今日は『リライトかよ!?』シリーズです

 

以下、前blogの加筆修正になります

 

 

 

毎日毎日、快便で困っちゃう

 

便秘気味の奥さんに横目で睨まれている男

guts koporu takkaです

 

 

 

 

タイトルに沿ってお話を進めましょう

 

〝俺たちにもできる〟

 

という部分ですが、

まずは個人的に印象的だった〝俺たちにもできる〟体験から

 

 

僕は学生時代、特に好んでrock musicを聴いていました

音のfeelingに惹かれたのももちろんですが、

アーティストたちの生き方や背景に惹かれた部分も大きいですね

 

なので、ギターマガジンとかの楽器系の雑誌より、

ロッキンオンとかクロスビートとかを好んで読んでいました

 

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熱心にインタビューとかも読んでいました

ときには自分を重ねながら

ときには憧れを抱きながら

 

 

しかし、後者の〝憧れ〟の部分がちょっとクセ者

特に20代前半なんて、

高校生くらいから引きずっていた

 

よくわからない無敵感

 

がだんだんと薄れてきて、逆に自分は何ものでもない感が勝ってくる感じのタイミング

憧れゆえに誌面のなかの自分のヒーロー達をどんどん自分から切り離してしまう

雲の上へと追いやってしまうんですね

 

 

大学を出てなんとなくトントン拍子で受かった会社に就職し、

人生終わっちまう感が凄かった僕は、

(ものすごい勘違いなんだけど)

 

自分は本当はどうしたいのか、ふらふらになりながら考えました

考えざるをえなかったのです

 

だって毎日が、びっくりするくらい楽しくないものになってしまったから

 

 

詳しい経緯はここでは割愛しますが、学生時代からの親友に

「一緒に音楽をやろう」と声をかけました

そいつも気持ちは同じだったようですが、お互いに煮え切らないまま時間が経っていきました

 

そんなある日

 

そいつが自分でコンピュータを使って創った音源を持ってきたんですね

聴いてみてほしいと

 

僕は相変わらず曲を自作したりはしていませんでしたし、

活動と言ってもたいしたことはしていませんでしたが、

 

rock musicの枠はとっくに飛び出して、

古今東西盆踊りから効果音、果ては音を切り貼りしたコラージュ音楽まで

 

とにかくいろんな音を聴いて浴びていた時期だったので、

耳にだけは自信がありました

 

なので正直そいつが持ってきた音に期待はしていませんでした

期待はしていなかったけどもその行為が嬉しかった、

という感じでした

 

 

ところが‥

聴いてド胆を抜かれました

それはある意味予想通り荒削りな、そのままどうにかなるような感じではないサウンドでしたが、

いちばん必要なものがガンガンに封じ込まれていた

 

rockだろうがsoulだろうがhip hopだろうが関係ない、

いちばん大事な〝魂〟がそこには溢れていました

 

その瞬間、比喩ではなくリアルに、

 

バリーン!!!

 

という音がして、僕のなかの大きな壁が崩れていったのです

 

誌面のなかの雲の上のヒーローたちが、地上に降りてきた

できる

 

俺たちにもできる

 

 

〝俺たちにもできる〟の僕にとっての原体験はそんなところです

 

 

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こういう体験は形を変えて何度も起こりましたが、この奥にある原理を知っていればもっと楽です

 

 

 そもそも壁を感じる必要などまったくないのです

 

 

壁を感じている状態のことを

 

分離意識が働いている状態

 

と表現することができますが、

これは生まれたばかりの赤ん坊にはありません

 

うちにはいまちょうど生後9ヶ月のbabyがおりますが、

彼女にはまだ自我と呼べるほどのものはありません

 

世界と彼女を隔てるものはなく、時間の概念さえありません

 

 

成長するにつれ人間は自我を形成します

それは自分と他を区別するうえで大切なことではありますが、

学校では分離意識がどうたらこうたらってことまでは教えてくれませんので、

 

「あいつはほんとに凄いなあ‥。イイよね、才能があるやつは」

 

という感じでどんどん自と他に無意味な壁を作ってしまいます

 

そこまで自虐的でなくても、なんとなく無意識に壁を作ってしまうことは多いはず

 

しかし、

 

誰かにできてあなたにできないことなんて、なにひとつとしてありません

 

 

これは事実です

 

 

これを身体でわかっているかどうかで、

 あなたが頭のなかで描くことができるイメージの幅が大きく変わります

 

 

 

人間は、自分が思っているような人間になるということです

あなたが不可能だと思っているものには決してなれないということ

 

ではその逆は‥?

もう、おわかりですね

 

 

 

 

 

 

ここから通常営業です

は~い戻ってきてくださいね~!

 

 

少し付け加えるとするならば、

 

いまこの瞬間に生きている人たちは、みな同級生だ

 

ということ

誰もが何かの途上であることに変わりはない

 

人の姿をした神はいない、ということです

 

ここを本当の意味で理解していないと、最終的にあなたは誰かの、何かの奴隷になってしまうことを避けられないのです

 

完璧な人間はいないこと

最後の判断は、好きか嫌いかで決めること

意識的に視点を切り替えられる術を持つこと

(本を読んだり、いろんな種類の人を観ることですね)

 

 

これらをしっかりと実践し、本当の意味で理解できていれば、

あなたの頭上、雲上に誰かが立ったりはしません

 

 

天は人の上に人を造らず

人の下に人を造らず

 

 

ということです

したっけね~

本気で没頭したいのなら、外野の声はシャットアウト! 何かを得たいなら古い荷物を捨ててゆけ

こんばんは

 

 

guts koporu takkaです

 

 

僕はね‥

憤慨してるんですよ!!

 

なぜかって‥?

だってさ‥。オリンピックでドラゴンボールが潰れてるからさ!

(これを書いているのはオリンピック開催中の日曜の朝です)

 

 

オリンピックとか興味ないんだけどなあ‥

マジメな話、いまの時代に野球やら陸上やらオリンピックやらで通常の番組を潰すってナンセンスでしかないですよね~

これだけネットインフラが整ってたらどうにでもできそうだけど

 

まあオリンピックを観たい人が多数派なんだろうけど、

これからの時代に少数派を丸無視したやり方をしているようでは‥

衰退していくだけだと思いますけどね~

 

 

 

 

と、日曜の朝からちらっと毒を吐いたところで、

(ドラゴンボールは毎週かなり楽しみです)

 

本日のお題目に入っていきましょう

前回(3日前ですね)のエントリは『リライトかよ!?』シリーズで、

読書のお話を加筆修正したのですが‥

guts-koporu-takka.hateblo.jp

 

 

改めて見直すとちょっといくらなんでも長過ぎたので‥

(ほんと反省ですな)

 

半分でやめました

ということで、ちょうど残り半分が〝刑務所での読書の話〟なので、

時間の流れ的には飛んでしまいますが、

『あなたが知りたい塀のなかの話』の番外編的な位置づけでRewriteしてみたいと思います

 

 

 

 

以下、前blogのリライト記事

 

 

昔から文章を書くのも本を読むのも好きでしたが、

これまでの人生でいちばん本を読んだのは‥

これから先もたぶん超えることはなかなかないんじゃないかなあと思うのは、

 

刑務所の中にいたときです

 

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(そこそこ有名な、『まる獄製品』ですね。これは裁縫工場のものです

僕は木工場で作業していました)

 

 

 

 

有罪と服役が確定し、

4年間外の世界とお別れしなければならなくなったとき僕は、

 

「1ページでも多く本を読もう」

 

と自然と思いました

 

前エントリで僕は堀江貴文を追いかけていると書きましたが、

刑務所で読んだ本の数だけは間違いなく勝ってるだろなあ

彼は1000冊の本を読んだって言ってたけど、

その3~4倍は確実に読んでます、塀の中で

(これはいま読んで自分でもびっくり

いつの間にか堀江さんと同じ1000冊ってことに自分のなかでなってたけど、

そんなに読んでたか‥)

 

読んだ冊数がイコール何かに繋がるわけではないけど、

圧倒的な量は質に転化したりしますからね~

(そう、何冊読んだかって競争ではないので冊数自体にたいして意味はないですが、

量をこなすってことは、いろんな面で必ず飛躍のポイントをつくることにつながります)

 

 

 

僕は恵まれていたので、僕を見限らなかった両親が、

ほとんど僕の希望通り、月の制限内で本を差し入れてくれました

(刑務所によりますが、月に外部から入れられる本の冊数には制限があります

そりゃそうだ、検閲する人が過労で死んでしまう)

 

 

図々しい僕は両親に極力甘え、そして刑務所内で借りられる本を可能な限り借りまくり、(正確にはダメなんだけど)同房の人たちからも本を借りまくり、貪るように読みました

 

独居房にいるときは、勉強しているかたまにテレビを観る以外は、

(あ、刑務所にはテレビあるんですよ!)

 

本を読んでいるか読書ノートを取っていました

あ、たまにこっそりオナニーもしましたけど

 

雑居房にいるときは、

ほとんど人と話もせず本ばかり読んでいました

(それによってコミュニケーションの不破が起きたこともあります)

 

とにかく多くの本を読みたかった

 

 

最初の1年は、21時に消灯されたあと、布団に潜って隠れて本を読みました

もちろん巡回の刑務官に見つかればペナルティ or 懲罰です

外で待っている家族がいるので基本模範囚で通しましたが、

そこは頑として譲らなかった

リスクを取りました

 

 

ちょうど1年が経つころ、突然不正読書がギリギリで見つからないで済んだ、

みたいなことが続きました

疑われていたんでしょうね

 

さすがに少し様子を見なければならなくなりましたが、

懲りない俺は

 

刑務官の巡回パターンを記録していましたw

 

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ところがようやく掴めそうだってタイミングで、

僕は函館少年刑務所から山形刑務所へ移送になりました

 

すると‥

 

なんと山形では、朝明るくなってから起床するまでの時間、

布団のなかで本を読むことが許されていたのです!!

きっと長期の受刑者が多いところだからでしょうね

あまり締めつけても逆効果だからです

(ぎりぎり10年くらいまでの刑期であれば「少しでも早く出たろう!」という希望というか心理的バイアスが働きますが、それ以上になると逆に開き直る人たちも出てきます。人間ですからね

そうなってくると締めつけても無意味なので、多少緩めに取り締まったほうが効果的なのです)

 

 

 

なんたる幸運!

なんて日だ!!

 

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いままで不正読書で補っていた時間をそこでカバーできるので、

僕は欲張らず不正読書をやめました

(人間を突き動かす欲求を否定してはいけません。それはガソリンです

しかし、欲張り過ぎた人間が破滅していくことは、歴史が証明しているところです)

 

 

そして、そこで一緒になった方からこんな本を借りたのです

 

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https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B0099JLFOS/ref=tmm_kin_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1471131256&sr=8-1

 

 

 

僕は毎日トレーニングしました

夜寝る前と朝起きたときに眼球のトレーニングもしていました

 

 

そして約1年が過ぎ函館刑務所に戻ってきたころには、

もう不正読書なんてしなくても十分に冊数を読めるだけの速読が身についていました

 

それからもトレーニングは続け、

最終的には300数ページの小説などは5分で読めるようになりました

(これを書くと勘違いしちゃう人がいるのでいちおう補足しておきますが、

普通に一から十まで読んでもちろん5分は無理です

今回は速読術の話じゃないので詳しくは書きませんが、ヒントを書けば‥

何かを得ようと思ったら、何かを捨てる、ということです)

 

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いまは逆にそんなに速読は意識していませんよ

本を読むスピードを上げるよりも、

読む本を絞ることに重点を置いています

(それでも読みたい本が山ほどあるけど)

 

 

 

それでもどうしてもひとつの読み方にこだわるのであれば、

とことんまでそれを突き詰めてみなさいな

 

答えはひとつではないということが、よく理解できることでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、ここから通常営業です

 

ここまで何かにとり憑かれたような本の読み方をすることは、もしかしたらもうないかもしれません

(絶対にないとは言えないのが怖いところだけど。いまもちょっと近いものがあるし)

 

しかし、何かをやるのなら、

 

外野の言葉は関係なしに、とことん没頭するというのは大切です

周りの顔色を伺いながらやってるレベルでは、没頭とはちょっと言えないですね

 

もちろん多少空気を読むことは悪いことではないけれど、

上述していますが、

何かを得ようとしたら何かを捨てる必要があります

一時的にでもね

あれもこれもうまくやってやろう、という姿勢ではどこにも行かれないのはたしかです

 

 

 

ってことで、今回はここまで

したっけね~

速読?乱読?じっくり?‥‥全部正解だから好きに読めい! ~Rewrite of 『guts koporu takka的読書論』~

こんばんは

 

 

guts koporu takkaでやんす

 

いま、これを聴きながら書いています

www.youtube.com

 

エイミー・ワインハウス

若くして逝ってしまいましたが、新しい音源が聴きたいと‥

いまでも思うアーティストのひとりです

 

 

 

 

 

 

今日は『リライトかよ!?』シリーズをお送りしたいと思います

以下、前blogの加筆修正記事となります

 

 

 

秋は夜が長いので読書に向いています‥

 

なんて言ってる人はいつまで経っても本を読まない人なんだろうなあなんて思ったりします

 

guts koporu takkaです

 

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どうして人は本を読むのか

または読むべきなのか

 

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この世界に〝すべきもの〟なんて存在しませんが、

まあそこはあなた、固いこと言わんてといて、

ここはそういう表現にしておきましょう

(話が進まなくなっちゃうしね)

 

 

 

初っ端から身も蓋もないことを言ってしまえば、

 

別に本である必要はない

 

のです

 

 

なぜなら本を読むことの本質は、

あなたが我流で生きているだけではほぼ確実に知ることのできない世界を覗き、

視野を広げる。と言うよりは

 

〝自分の延長線上にない世界〟を知るということだからです

(ここは加筆部分ですが、少し言い方を変えて付け加えるならば、

〝意図的に視点を変える〟ということでもありますね)

 

 

なのでそれは映画だって良いし、誰かと交流することだって良い

〝ひとりの老人が死ぬということは、図書館が一軒焼け落ちることだ〟

 

とはよく言ったものです

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(当blogのマスコット的存在、勇気の象徴バフェットさんです

まだ焼け落ちていません)

 

 

いちばん濃いのは僕も〝人と交流すること〟だと思っていますが、

本に比べて人と会うことは、

 

〝多種多様な世界に触れる〟

 

という意味であまり効率的ではありません

自分とはまた違った見解を持った刺激的な人たちと交流するためには自分のふだんの行動範囲を大きく広げる必要があり、

それはとても大切なことなのですが、

費用対効果を考えるならばやはり本がベストなんじゃないかなあ、と思いますね

(現在の僕で言えば、北海道から大阪に引っ越して来ちゃう、というように拠点を移動してしまうという方法もありますけどね)

 

 

人間同士の交流はその相性やタイミング、場所によってその人がふだん公開していないような貴重な情報が手に入ったりもします

それは人間の内側の流動性や相性などによるものもありますが、

 

それとはある意味逆に、

本というものは書こうと思ったら誰しもある意味かしこまるものだと思います

僕は本を書いたことはありませんが、

それはblogにしたって同じこと

 

僕はふだんはfacebookに投稿することのほうが多いけれど、

ちょっとかしこまって書きたいときはblogを利用する

(いま思えば、かしこまって書きたいとき、というよりは

facebook上でアウトプットしたものをある程度まとまった形にしたいとき、

ですね)

 

 

 

いまはいい意味でそれを活用できているけど、

その〝かしこまってしまう〟という性質ゆえに、

僕の持ち味と言うかこのノリを出すために、

かなりのtry and errorを繰り返しましたよ

 

かしこまり過ぎて、ガッチガチの文体になっちゃう

誰これ?って感じの

 

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基本的には〝読み手の側に立った情報を提供する〟ことが求められますからね

僕は自分が書きたいこと書いてたほうが周りがおもしろがってくれるという自覚があるので好きにやってますが、最初はさまよいましたよw

(ここに関しては、情報発信で成功している人って、とりあえず僕の周りは

まじめ~な感じの文章を書く人が多かったので、

「そんな感じでやったほうがいいのかあ‥。むしろやらなきゃダメなのかあ」

とさまよったわけです

 

けど、んなこともないはず、と粘って探し続けたらはっちゃけた発信をしながら成功している人たちを見つけ、「やっぱりね!」となったわけです

 

また〝読み手の側に立つ〟というのは内容とかを無理やり相手の側に寄せる、

とかそういうことでは必ずしもなく、誤字脱字をしないようにするとか、言葉の端々や行間にこだわるとか、要は相手がどうすればより読み易いかということを考えることでもあります)

 

 

 

 

 

だけど、だからこそ本(またはblogやメルマガ)には価値がある

書き手が人生をぶつけてくるからです

 

まだまだ電子書籍より幅を利かせていると思うのであえてこう書きますが、

一冊の紙の本を出そうと思ったら、

そりゃあ人生を総動員させてくるでしょう

(これは電子書籍でも同じかな、と修正しようと思いましたが、

電子書籍は紙の本に比べてやはり幾分ライトに出せるところがありますね

そこは良いところでもあります)

 

 

 

そういったものを受け取るという意味では、

よほど賞味期限がある類の情報でない限りは、

本物は古典として読み継がれていくわけです

 

 

大げさな話ではなく、一冊の本を読んだことで、

あなたの人生は昨日と今日で180度変わることだってあるのです

視点が変われば、昨日と同じ場所に、まったく違うものを見出すことが可能になるのだから

 

 

あれ??こんなものここに置いてあったの?!ってね

 

 

 

 

本を読んだ時間をより活かすためには、アウトプットすることです

 

一冊からひとつでもいいから実践する

 

もしくは読書ノートを取ったっていい

(読書ノートを取ることはモデリングという著者の軸をコピーする作業と言い換えることもできます)

 

 

あえて真逆のことも書きますが、

何かを感じ取ったなら、まるごと忘れてしまってもいい

 

「なんだかおもしろかったな」で終わってもいい

 

どちらも間違いではありません

そのときのあなたが、感じるようにすればいいのです

 

 

 

 

そのときのあなたが感じるようにすればいい、と言えば、読み方なんてのもそうですね

 

よく意見が分かれるところですが、

どちらかが正解でどちらかが不正解なんて馬鹿らしい

好きにすればいい

 

一冊の本を何度も何度も、味わうようにゆっくり読みたいときもあります

 

とにかくたくさんの本を同時進行で乱読したいときもあります

 

どっちが正しいかなんて議論は滑稽

 

ゲスの極み乙女です

 

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だってよく考えてごらんよ

意地にならないで、素直になってごらんなさい?

 

ほんとにすべての本を同じように、じっくりと何度も読みたいと思いますか?

ほんとにすべての本を同じように、速読したいと思いますか?

 

〝あなたの読み方〟があるのではなく、

〝本に合った読み方〟があると考えたほうが自然ではないですか?

 

 

さらに言えば同じ本でも、人によって〝本に合った読み方〟は違うのです

 

誰もあなたの本の読み方なんて気にしやしませんから、

感じるままに、好きなように読んでみなさいな!

 

 

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ここから通常営業です

 

この過去記事、ほんとはここからもう倍くらい、刑務所での読書の話が続いていたのですが、自分で直していて

 

長いよ!長過ぎるよ!!

 

とうんざりしたので、

(こういうのもまさに読み手の目線が足りなかった、ということでしょう)

 

それは別の機会にリライトすることにします

ちょうど刑務所のことを書いているシリーズも走っているところだし

 

 

 

読書には、いろんな方法、テクニックみたいなもんもありますが、

どんな読み方をしても必ず意味があります

たとえば数冊の本を同時進行で読んだりすると、一冊だけ読んでいたのでは理解しきれなかった部分がいきなりストンと腑に落ちたりすることもあります

同系統ではなくまったく違ったジャンルの本であってもね

 

と同時に、前述していますが一冊の本をじっくりと味わうことが必要なタイミングだってあります

 

好きに読めばいいんですよ

 

けど読むからには真摯に、愛情を持って本と向き合ってほしいなあ、

というのがひとりの本好きからの願いだったりします

 

 

 

 

じゃ、今回はこんな感じで

したっけね~

わかってるのに損切りできない理由はズバリこれです ~サンクコスト(埋没費用)を捨てるために~

こんばんは
 
 
guts koporu takkaです
 
 
昨夜(これを書いている朝の前の夜)は大阪に来て以来初めて、風呂にも入らず、
休憩しようと横になったベッドでそのまま寝てしまいました
 
 
限界までやったったからです
(facebookをフォローしていない人はわけわからんかと思いますが、
昨日は夕方からずっと茂木先生の脳科学の本の、アンテナに引っかかった部分を書き写して引用としてfacebookタイムラインで公開してました
これはmodeling(モデリング)』という作業で、著者の思考の軸などをコピー、
自分のものにするために有効な手法です)
 
 
 
本来はどこか意識的に崩しても、
どこかを意識的に保つことで一日のバランスを取るのですが、要はバランス取りきれないくらい攻めたってことです
それって一見頑張ってるようでセルフコントロールという側面から見ればあかんのだけど、昨日の自分は認めてあげたいので‥
 
あえて自己評価満点を付けときます
下の画像は、自分のリズムを把握するためにEvernoteを使って毎日付けているものですが、見方は日付けの右から
・その日の評価
・睡眠時間
・食事の量
 
ですね

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(充電しろよって感じですね)

 
 
 
そんな感じです
 
とはいえ夏なんで、風呂に入れてないのは致命傷になりかねないのでこれから浴びてきますw
シェアハウスだから迷惑かけちゃうしさ
 
さあ、今日も一日頑張っていこう
これ読んでる人は「もう寝る時間だわい」って人も多いかと思いますが、
こちとら朝いちなのでw
準備はいい?
では声を揃えて‥‥
 

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今回は『人生のなかに埋もれているコスト』のお話をしていきましょう
 
 
久しぶりに『ちきりんの日記』を読んだら、こんな内容のシリーズものをやっていました
 
 
 
 
 
司法試験を受けて落ち続け、そこからの人生をどうしようか、と考えた女性のお話を軸に展開するシリーズものですが、
ロースクールに通ってた間、働いていれば稼げたはずの給与を含めれば、
ゆうに1000万円を超える投資と、数年間にわたる勉強漬けの日々
 
それを1回受けただけで「なかったことにしよう」と思える人なら、
経営者としても投資家としても大成功できることでしょう
 
それくらい「人生の損切り」は難しいのです』
 
 
というセンテンスがあります
これは、本当に重要です
 
サンクコスト(sunk costs)』という言葉は聞いたことがある人もいるかもしれませんね
直訳すると〝埋没費用〟となります
 
言葉の正確な意味が知りたい方はこちらへ
 
 
 
たとえば3000円とかする本を買うのってけっこうな勇気ですよね?
そもそもあまりそんな値段する本がないですけど、ちょっと専門的な知識が欲しい、なんてときはそのくらいする本は珍しくはありません
(あとはアイドルの写真集とかゲームの攻略本とか?w)
 
そういったちょっと頑張った本を買って、もし明らかに‥
 
「ちょっと思ってたのと違うな」
「あれ?これひょっとしておもしろくないんでは?」
 
 
と〝気づいてしまったとき〟
あなたはページをめくる手を止めることができますか?
そこで潔くやめることができますか?
 
 
「いやいや‥欲しい情報はここから先にあるかもしれないぞ??」
「一行でも身になればいいんだ!」
 
それは間違ってはいないでしょう
(ほんとに別に間違ってはいません)
 
しかし『サンクコスト』というものを意識してみる必要はあるでしょう
 
 
 
 
3000円という本の元を取ろうとした結果、あなたは
3000円以上の何か、いちばんわかりやすいのは時間』を失う可能性を秘めているのです
 
 

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だってその本を読んで何を得たいの?
それが専門書だとしたって
ちょっと高めの海外のマンガだとしたって
 
 
 
要は人生を豊かにしたいのでは?
豊かな時間を過ごすための投資なのでは?
 
じゃあそこに必要なものって何?
 
‥‥時間じゃない?
 
 
 
 
 
 
僕はいまでこそ完全にお金より時間を意識する習慣が身についているので、
たとえば
 
ふだんは仕事が終われば1秒でも早く帰ることにしているが、
どうしても残業せざるを得ない(自分も納得している)状況になった
 
その残業が終わった時間がたまたま〝〇時58分〟だった‥
という状況でも、僕は迷わずタイムカードを切ります
残業代のために無駄に残ることは天地がひっくり返ってもしません
 
 
しかしそこまで意識しきっていなかったときから、こんなことをしていました
 
 
 
僕は音楽のliveによく足を運びますが、チケット代は安くて2000円、
まあそこまでメジャーじゃなければ高くても3000円というところです
 
でも、まあ3000円あればいろいろできることはありますよね?
 
だけど、僕は〝最初から最後までいなければいけない〟とはこれっぽっちも思っていませんでした
なので、途中から行くこともあるし、十分楽しんだな、と思えば平気で途中で帰ってました
チケットの元を取ろう、なんて考えていませんでした
(自分のなかで)観る必要のないものを観ている時間があるなら、
やりたいことはたくさんあったからです
 
 
 
 
知り合いのliveとかでもそれをやるので、怒られたこともありました
当時は申し訳ないという気持ちもありましたが、いまはそうは思いません
 
(自分のなかで)観る価値がない‥というliveはそもそも最初から行きませんが、
たとえ何かしらの期待を持って行ったとしてもその目的を果たしたとき、
 
それでも付き合いのためだけに残っていたら‥
本当に意味のある関係がその後築いていけるとは僕には到底思えなかったからです
 
 
 
翻ってあなたはどう考えますか?
人生の気づくべき『サンクコスト
 
けっこういろいろあるかもしれませんよ?
もう支出してしまったコストは、そのまんまは戻ってきません
しかしそこで〝ほんとは気づいているのに〟時間を使い続けたら、
損失は拡大するばかりです
 
勉強代だと思いましょう
 
 
 
そもそも、どうしてサンクコストに気づいていながら止まることができないのか
 
それは、自分に失敗を許していないからです
これ、声を大にして言いますが‥

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(しつこいっすね)

 

 

 

失敗は宝です

 

と言ってもなかなか理解し切れないと思うので、ここから

ちきりんの日記』から丸パクりした図を使って説明していきます

(ちきりんさんごめんなさい)

 

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まずこの図ですが、一般的な『失敗』の解釈はこんな感じだと思います

なにかをするなら、『成功』か『失敗』に結果は分かれ、どちらも発生する一定の確率を保有している

んで、

(ここ大事ですよ~。テストに出ますよ~)

 

失敗したら人生終わると思ってる

そこまでではなくても、なんかしらのでっかいハンディを負うと思っている

 

 

 

……………

 

ちゃうねん!!

 

 

 

 

 

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you understand?

失敗は〝成功の対極にあるもの〟ではございません

 

成功への〝途中に落っこちてるもの〟でやんす

ほぼ必ず落ちてます

つまり、〝必須なもの〟なんです

 

ほぼ、と言ったのは、稀に失敗なくうまくいっちゃう事態もありますが、

あまりお勧めしませんね~

だってそういうときって、

 

なんで成功したのか本人もよくわかってない

 

場合が多いから。あとあと悲惨ですよ、そんなだと

何の再現性もないしね

 

 

 

ちょっとずつ小さな失敗をすればいいんです

僕みたいにかな~りドデカい失敗も人生にはありますが、

そういうのは小分けに失敗しておくことで分散できたりするものです

 

こういうことを言ってた偉い人がいます

『地獄に行かないための唯一の方法は、地獄に行く道を熟知しておくことだ』

 

はい、マキャベリ御大ですね

僕は一発で地獄に行く道を勉強することになっちゃいましたが、

んなもん細かく失敗してれば経験する必要ないんです

 

そういうことを僕は伝える役目があるとも思うから、

刑務所の話とか書いたりしてるんですよ

趣味でやってんじゃありません

(当たり前やで!)

 

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この図はちょっとしたおまけですが、大事なとこですね

要は失敗できないのって、

 

学校的な価値観に洗脳されまくってるから

 

ということです

失敗したら終わりだよ~的な価値観をとことん刷り込んでくれる場所ですからね

 

 

 

何かを学ぶにあたって学校に行ったりセミナーに行ったりすることは悪いことじゃありません

けど、市場に出てこけながら学んだほうが覚えは早いし、

学校やセミナーで学ぶにしても〝視点を変えて〟学び方を考えないと、意味は半減ですよってことです

(そのへんを話し出すと無限に拡がっていってしまうのでやめときます)

 

 

 

サンクコストの話だけしようとしたら、サンクコスト対策みたいなとこまで拡がってしまいました

参考になれば幸いです

 

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したっけね~

こころの蓋は、軽いのにしておいたほうが良いですよ ~Rewrite of 『ひとつの方向、ひとつの瞬間からは、彼を彼女を知りえない』

こんばんは

 

 

guts koporu takkaです

 

 

これを書いている前日、埼玉は志木で友人たちと会ってきたのですが、

朝までコースで帰りは新幹線始発

しかし徹夜明けで頭が回っていなかったのか、

さらに『乗車券』に〝4日間有効〟と書かれていたのをなにか勘違いして、

せっかく指定席を取っていた新幹線のひとつ後のに乗ってしまいました

 

乗ってから気づいて「おう‥NO」とショックを受けるguts koporu takkaでしたが、

サッと頭を切り替え〝座るはずだった席〟に行ってみました

すると空いていたので

「これは‥。つらっと座っといて、万が一途中乗車してきたらなんとでも言って避ければいいな」

図太い神経で席ゲット

 

 

と思いきや、次の横浜でソッコーで席の主がやってきて、すっごいヤな顔で乗車券を見せつけられました

 

完全に俺が悪いですね。ごめんね!

 

とまあ、そんなに甘くはなかったですね~!ってお話でした

朝2番目くらいの便なのに自由席も埋まってて、東京から新大阪まで2時間立ってましたよ‥

 

 

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今回は『リライトかよ!?』シリーズ第3弾です

以下前blogの加筆修正記事

 

 

 

夜のお菓子、うなぎパイ

 

夜の男guts koporu takka

 

うなぎパイくらい夜の代名詞になるにはどうしたらいいんだろう

そんなことを考えていたりいなかったり

 

guts koporu takkaです

 

 

久々に本からのお話です

と言っても全blogのようにワンセクションを丸まる引用したり、

というようなやり方は基本しないことにしようと思います

 

それだと、やっぱり〝guts koporu takkaのblog〟にはなりづらいですからね

抑えようにもなにかが滲みでてしまう男

それがguts koporu takkaですので、

まったく無個性になってしまうということもないのですが、

とにかくそういうふうに意識してみようかな、

と思った次第でございます

 

 

 

 

あ、guts koporu takkaのblogと言えば気づきました?

ついにタイトル決めたんですyo!

(前blogはこのタイミングでblogのタイトルが決まったんですね)

 

 

超が付くほどマイペースな男なのでいつまでもズルズル決まらない可能性もありましたが、

進めば進むほどはてなブログが勝手に決めた

 

guts-koporu-takka's diaryとやらで記憶されてしまうので‥w

 

 

俺のblogタイトルの変遷を追ってみると、

 

flying frog

 

月と六ペンス

 

ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

 

とまあ‥

我ながらセンスが良いので‥

(異論反論受けつけません)

 

と言うかほんとにネーミングセンスはあるほうなので、

ひねったかっちょいいタイトルを付けようと思えばいくらでも浮かんだんだけど、

それもなにか違う気がした

 

また、〝人生のすべてを体現していく〟というblogコンセプトから考えて、

 

life of guts koporu takka

 

なんて横文字にしてみたら‥

絶対埋もれるやん!

その他大勢やん!!

って感じがすごかったので、やめましたw

 

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カッコつけ過ぎず、わが輩のセンスを発揮するタイトルを考えた結果、

 

がっつこぽるたっかの人生

 

てのが良いんじゃないかな、と思いました

(あえてここまでのblogのリンクは貼りません

だっていままさに加筆修正してるのに元ネタに行かれてもねえ‥w

しかし隠してるわけでもないので名前で探せる人はぜひどうぞ)

 

俺が追っかけてる堀江貴文さんの

ホリエモンドットコム|堀江貴文

 

 

bloggerちきりんさんの

Chikirinの日記

 

 

なんかも名前入ってるし、いいんじゃないかなあ、と

ホリエモンはともかくとしてちきりんさんに関しては有名だから名前を冠したってわけではないだろうしね

 

 

とまあ、そういう経緯でこの名前に決定しました

良い感じにダサゆるだと思いますw

 

 

 

さあ、このままだと全然予定してたことを書かないまま終わりそうなので、

(実はそれでもいいかなと途中で思ってた)

 

本の話をしましょうか

 

松浦弥太郎さんの『100の基本』です

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弥太郎さんは素敵な人ですよ。素敵男子です

 

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僕がアニキと慕っている人が、

(カラダの関係はありません)

 

 

「人の眼はその人の魂を映す鏡だ」

 

と言っていましたが、

弥太郎さんの眼を観ていると、

なんだかとてもやりきれない、哀しい、

でも暖かい気持ちになります

 

清潔な雰囲気ややわらかい語り口から、

一部毛嫌いするような人がいるのもわからないでもないですが、

 

そういった人は人の一面だけ見て決めつけたり、

もしくはひとつの視点でしかものを見ることのできない人なのかなあ、と思います

 

別に僕は弥太郎さんのなにを知ってるわけでもないですが、

少し触れただけでも彼の歴史の深さは感じ取ることができます

 

すべてから逃げ出したくて、海外での生活を始めたこと

でもあまりにもコミュニケーションが取れないことに疲れ、

どうしたらより良くなるのか、を毎日考え続けたこと

 

そしていろんな国や町を歩いたこと

(その町その場所でひとつずつtattooを入れたらしいです。この時点で既にイメージと違うでしょう?)

 

そして貸し人夫として、公園から拾われて労働をしに行く生活

 

 

そういう道をたどったうえでああいう雰囲気、物腰なんだということを知って彼を批判している人はどれだけいるんだろうか

たぶんいないんじゃないかな?

 

知らない人ほどよく人を批判するというのも、また真実なのかもしれませんね

ある意味気楽なものです

絶対的に安全な場所から、人を批判するというのは

 

自分はいっさい傷を負わずに人をおとしめて自分を浮上させる

 

そういう人がたどり着ける場所は、きっととても限定的なところなんじゃないかなあ

 

 

 

 

 

 

 

 

さてここから通常営業です

 

そうですね。あえていま僕のまわりでホットな話題から加筆をするのなら、

ひとつの視点でしかものを観られないというのは‥

 

確信犯である場合もありますよね

 

確信犯と言っても、無意識では気づいているんだけど、気づいてしまうと傷ついてしまうので、そっと蓋をしてしまう‥

僕は逃げるのは悪いことだとは思いません

徳川家康だって逃げるときは糞漏らしながら逃げたもんです

 

けどね、そういうときはひとり静かに逃げて、自分と向き合うのがいいと思いますよ

周りを巻き込んで味方に引きずり込んで‥

蓋を鉄製にしてしまってはいけません

 

 

自分と向き合う準備ができたとき、蓋が重くて持ち上がらなくなってしまうから

 

 

 

 

したっけね~

どうして恋愛とふだんのコミュニケーションを分けて考えるのさ? ~Rewrite of 『洗脳と愛の告白を科学する』~

こんばんは

 

フリーキーアナリスト

guts koporu takkaです

 

先月末に大阪に越してきた僕ですが、

いまは新宿駅近くの某ネットカフェでシャワーの順番を待ちながらこれを買いています

(とこれを書いてたらソッコーで呼び出されていま戻りました

30~40分待つって言ってたのに‥)

 

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僕はパチンコ屋さんの社員をしていたときは音がまったく苦にならず、

データ入力をしていたときは12時間PCとにらめっこしていても全然目が疲れなかったり、

大阪にやって来たら思いの外暑さが平気であったり‥

我ながら順応性が凄いんです

 

と同時に、先日友人に

「お前は何処にいてもお前だな」

 

と言われたり

(これって一聴して矛盾してますよね?)

 

 

そう、僕はだいたい何処にいても馴染むし、

(なんせ刑務所生活にも慣れていたから‥)

 

行ったことないけど海外にいても僕は僕です

(ホテルマンだったときに外人さんと会話すんのにまったく違和感なかったしね)

 

 

 

どうしてそうなのか?

その要素のひとつはまさにいましていることかもしれません

別に新宿にやってきたからってヤッホーってわけでもなく、

(多少はテンション上がりますけどね)

 

物珍しそうにあちこち行かなくたっていいし、目的の場所にだけ行けばいい

んで定時のblogはここでだって書くし、決まった時間にシャワーも浴びる

 

そういう工夫をしているからかもしれませんね

何も毎日が変わらないとか、そんなつまんないことを言ってるわけじゃありません

だけど、二度と同じ日は来ないからこそ、自分のなかに変わらないルーティーンをつくっておくことは大切なんじゃないかな、と思います

 

このくらい都心にくればそれは目移りするほど情報が溢れていますが、

いまの時代は、ド田舎にいたって情報は過多です

 

だからこそ、自分のアンテナを張って一直線に進むことはとても大切です

情報を浴びに行くのと、情報に被弾するのはまったく意味が違うと僕は思います

 

 

 

 

 

ではここから前回より始まった『リライトかよ!?』シリーズを展開したいと思います

 

前回の内容はこちら

guts-koporu-takka.hateblo.jp

 

 

 

ここから、前blogの記事をいまの感性でリライトしていきたいと思います

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

 

 

結婚して1児の父となっても気分は童貞

guts koporu takkaです

 

童貞の味方guts koporu takkaです

 

 

さて、俺はいま週に1本映画を観るようにしてるのですが、

 

久々に邦画が観たいなあと思い、ノートにメモってあった映画

森山未來主演の

 

モテキ

 

を観たんですね

(なぜメモってあったかと言うと、知人に借りて読んだ原作の漫画がとてもおもしろかったから)

 

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こみっちゃん(こみつ。4ヶ月)が早めに寝てくれたので、

夫婦で童貞に戻りながら楽しく鑑賞していました

 

本題とは違うので軽めに映画のレビューをしておくと、

(内容に触れますので注意)

 

たとえば主人公に振られて潔く諦められなくて号泣しながら追いかけてくる女性がいて、

 

「なにをやめれば振り向いてくれるの~??」とか、

 

「あなたに全部合わせるから~!」

 

みたいなことを号泣しながらさらに畳みかけますw

 

まだ見た目が麻生久美子だから見れたもんですが、

実際にやられたら(もしくはやったら)ドン引きを通り越して恐怖だと思います

 

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(問題のシーン。号泣しながら走り出す直前)

 

だけど、まあ映画内のキャラクターとして極端に、

〝ひとりの人間のなかに〟そういう要素を集中させているんだろうけど、

 

人間であればそういう要素は誰にだってあるよなあ、

というのが観て思ったこと

 

引き際を間違えて、見苦しくなってしまったり

(これは一回間違えたくらいじゃ学習しきれないから厄介w)

 

惨めだとわかっていても無理やり相手に合わせてすがってしまったり

 

それこそストーカーぐらいまでいったって、

「そんな部分わたしにはないわ。一緒にしないでちょうだい!」

 

なんて言い切れる人はいないんじゃないかと思います

もしいたら、そういう人とは友人としても親しくはおつきあいしたくないですね

 

自分の中の闇を認めていない人というのは本当にこわい

〝なにかあったとき〟には平気な顔で他人に正義の鉄槌をくだし、

なおかつ不特定多数の〝みんな〟を召喚して叩き潰しにかかる

(ほんと、この〝みんな〟ってやつはどこにいるんですかね?

一度全員集合させてみてほしいです)

 

傍に置いておくとある意味いつもドキドキする存在ですねw

 

 

話が少し逸れましたが、他のキャラクターにしてもそれは一緒

それを考えたら〝キャラ〟とかって言葉は、

まあ個性とも言うか、

なにかの一部分が突出している状態を指しているんだろうけど、

それぞれの要素はすべての人に存在するし、

どの部分がより濃く出て来るかはタイミングや年齢、

置かれた場所によって変わるのだから、

 

そういう意味ではあまり〝個性〟なんてものを意識しても意味がないような気もしますね

「あら、わたしは最近こんな感じなのね?」

 

くらいにとらえておいたほうが、

無意味に自分を限定することもなくて良いのではないかな、

と思います

 

「わたしってこんな人」

 

というのは冷静に言えば〝過去のパターンの集積〟でしかないわけだから、

そこにこだわっちゃうとマイナスに作用することも多いですよってことです

 

〝いままでのあなた〟は

〝これからのあなた〟に、

そういった意味では関係はないのです

 

自分の過去のパターンにあるとかないとか、

そんなことはまったく気にせずに挑戦しましょう

 

 

 

 

 

本筋ではないので映画のレビューはこれくらいにしておきましょうか

 

あなたは、〝洗脳〟と聞いたらなにを思い浮かべますか?

 

新興宗教だったり、

オセロの黒いほうだったり、

 

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(本人の画像を持ってこようかと思いましたが、ちょっと悪意があり過ぎるのでやめました

頑張ってるだろう人の足を引っ張りたくないですしね)

 

 

 

 

いずれにせよあまりパッとプラスのイメージに繋がる人は少ないと思います

 

しかし、多くのマイナスイメージで捉えられている言葉と同じように、

それこそ育ってきた環境や時代によって言葉のイメージなんてものはいくらでも変わるものです

 

たとえば昔から紛争などはあっただろうし、

実際の信者たちの実態とはまったくイコールではないはずですが、

あなたは

 

イスラム

 

という言葉に、いまほどのマイナスイメージを持っていましたか?

おそらく自然とマイナスイメージを持ってしまう人が多いんじゃないかなという前提で話していますが、

イスラムという言葉にこれほどのマイナスのイメージを膨らませるようになったのは、

どれだけ遡ってもここ数年のことではないでしょうか

 

いえ、正確に言えば9.11のテロなどいくらでも出てはきますが、

わたしたち日本人が〝それなりに激しく〟マイナスのイメージを持ち始めたのは、

きっとイスラム国の登場を境にしてるんじゃないかなあと思います

自国の人間が処刑される動画が公開されるなど、

ネガティブを通り越して肌感覚で嫌悪してしまっても無理のないこともありましたからね

 

 

話を戻すと、言葉にこめられたイメージや背景なんてものは人によっても全然違うし、

なにかを機にいとも簡単に変わったりするものです

 

逆に言えば、多くの人が一般的にマイナスのイメージを持っているような言葉でも自分の捉え方次第でプラスのイメージを持つことは難しくない、ってことです

 

 

洗脳〟という言葉に関しても、

言葉それ自体が持っている力は決してマイナスなものではありません

マイナスにしてたらもったいないくらいのパワーを秘めた言葉です

 

たとえば、テレビや新聞を無意識に垂れ流すように見たり読んだりするのをやめて、

あなたが〝こうなりたい〟と思う人が発信する情報を取りに行く

 

そして継続的にblogやメルマガを〝浴び続ける〟

これも言ってしまえば洗脳です

 

自ら能動的に施す、または施されるのであれば、

それは自分の現実を変えるための強烈な追い風になるということです

 

頭の中身が書き換われば、見える世界はまったく別なものになるわけですからね

 

 

 

 

今度は〝無意識に〟施されている可能性のある洗脳のお話です

 

それはさっきちらっと出てきたように、

テレビや新聞など一般的な家庭なら身近にあるようなメディアから受けやすい傾向があります

政府がメディア操作をしてどうのこうの‥というような大きな話までいかなくても、

わたしたちが〝常識〟としていつの間にか共有しているもの、

 

を刷り込まれている可能性は大きいですね

大きいというか、実際多々あるでしょう

 

 

ここでやっとタイトルのお話になりますが、

あなたは

 

愛の告白

 

というものをしたことがありますか?

 

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「あなたのことがずっと好きでした‥」とか、

 

「アナタノコトガ、スキ、ダカラ!(チャン・ドンゴン)」とか、

 

「ずっと好きだったんだぜ♪(斉藤和義)」

 

とかいうあれです

 

恋に恋するお年頃であれば、恋愛におけるG1レースのような一大イベントかもしれませんね

告白なくして恋にあらず!!みたいな

 

また、ある程度歳を重ねても、

場合によってはおじいちゃんおばあちゃんになっても、

演出や状況によっては素敵な愛の告白は成り立つかもしれません

 

そう、それは〝状況〟や〝前提〟によっては成り立つ

という性質のものなのです

前提とは、そこまでの関係性距離感のことね

 

けして愛の告白自体を否定するものではありませんが、

それなしじゃ恋愛は成り立たない、というものではない

 

むしろ愛の告白を大前提として捉えてしまうと、

うまくいかないことが圧倒的に多いのではないかと思います

 

 

冷静に考えてください

たとえばさっき書いた〝前提条件が整っている〟場合

お互いにもうどうしようもないくらいに両思いだったりする場合は、

愛の告白はうまく機能する可能性が高いでしょう

 

むしろ、そういうのがないとなんだか不安、

という人もいるかもしれません

(僕もそんなとこあったので、しばらくしてからわざわざ関係を確認したりもしました)

 

だけどよく考えてみてください

いや、むしろ考えないで感じてみてください

 

愛の告白〟をゴールとして楽しんでるならともかく、

せっかく良い関係性なのに、

突然

 

「あなたのことが大好きです!お付き合いしてください!」

 

なんて言われたら、心のどこかで引いてしまいませんか?

もしくは一気に重たくなりませんか?

 

たとえ、お互いに好意があったとしてもです

 

 

 

機械じゃないので常に50対50でお互いが想い合ってるなんて関係はありえませんし、

特に告白された側が割合30とかだった場合は最悪ですw

一気に15くらいまで気持ちは減退するのではないでしょうか

 

それは愛の告白という行為が、相手を囲い込む行為だからです

逃げ道を奪ってしまうのです

 

 

これからお付き合いがスタートするかもしれないという段階で、

逃げ道を塞がれたらイヤですよね?

それは男も女もおんなじです

 

〝交際中です〟という札をぶら下げずに、相手がどんな人間なんだか観察したいという気持ちがあっても、

〝確定〟させてしまうことで逃げ道がなくなる

あなたのことは嫌いではないけれど、そうくるのであればちょっと今回は‥

となってしまうわけです

(まあ世の中には僕のように尻が軽い男や女がいるので、うまくそのへんを利用してかわすことも考えられるので要注意ですが!)

 

 

 

つまり、多くの場合〝愛の告白〟というものは

 

コミュニケーションの手段として破綻しているわけです

 

もちろん先述したように必ずしもってわけではないし、

演出によってはそれが最高に機能することもある

 

けれど多くの人が、当たり前のように

〝別にやらなくてもいいこと〟

 

もしくは

〝やらないほうがいいこと〟

 

まるで義務のようにやってるわけです

不思議じゃないですか?

 

 

 

さあ、それはどこに端を発しているのか

 

いつものようにテレビや新聞!と言いたいところですがこれに関してはマンガでも映画でもなんでも当てはまるでしょうね

 

日曜の夕方と言えばサザエさん

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みたいなノリで

交際関係のスタートと言えば、愛の告白

 

というイメージをすり込んだ戦犯を特定することはなかなか難しいでしょう

また、ある時代にはもっと機能していたのかもしれないし、

(婚前交渉がタブーな時代とかね)

 

いまでも「告白がないなんてイヤ!」って人もいるかもしれません

そこまでいかなくてもなんか気持ち悪いなあって人はきっと多いでしょう

 

 

しかし〝それ〟をいまだに過去のものにせず継続させているのは、

現場経験がそんなにない類のクリエイターさんとかが多いんじゃないかなあ、と思います

 

つまりは妄想の産物ってことです

僕はプレイボーイでもなんでもないですが、

そこそこ恋愛をした経験があれば、愛の告白なんてものが多くの場合余計でしかない、

ってことは感覚として理解するはずですが、

 

想像(というより妄想)だけでものを創ってしまうと、

現実とはかけ離れたものができあがってしまい、

 

しかも今回のケースはわりと〝常識として〟定着してしまっているものだと思うので、

なかなか疑われることもないってことですね

 

 

 

 

というわけで、割とよく

 

〝普通に生きているだけで施されている洗脳〟

 

的な話をしていますが、それこそ普通に生きているだけだとそう言われてもなにか特殊な話というか、身近なこととして感じづらいのではないかな、と思ったのでこういう例を出してみました

ちょうどモテキ観たとこだったので

 

いつもよりは、ちょっと身近なことに感じたでしょう?

 

まあ、僕のblogにたどり着いている時点で、

普通に生きてきただけの人なのかはあやしいですがw

 

 

 

さて、ここから通常営業です

う~む、いいこと言ってんなあ俺!

 

 

今回はほとんど直すとこないなあ‥

と思いきややっぱちょこちょこは直しました

 

あなたはどう思います?

僕に関しては、もちろん告白をしてうまくいったこともありましたが、

多くの場合は余計でしたね

 

 

というより、ここで新しいことを付け加えておくとするなら、

愛の告白というのは飛び道具、またはドラえもんの秘密道具ばりに

 

これさえあればなんとかなる

 

というような変な必殺感があるので、とにかく最終的には告白すりゃあいい、

みたいな感じでそれよりも全然大切な

 

関係性とか距離感をしっかり温めていくことを忘れがちなんですね

だからうまくいかなくなってしまう

 

こんなの、恋愛だけじゃなくてふだんの人間関係でも同じことなんですが、

なぜか恋愛になると(特に男は)見境いつかなくなるから不思議です

 

はい、僕も痛い思いをたくさんしましたよw

 

 

 

てことで、別に告白したらダメだよってことではなく、

それよりももっと大切な、やらなきゃならないことはあるから、そこを見失わないでねってことです

当然「あたい告白がなきゃ誠実さが感じられないからいや!」って女子(もしくは男子)もいますから、そういう人にアタックするときは気をつけてくださいw

 

そういう人は、恋に恋してるのでそっちのが注意ですけどね

 

 

んじゃ、したっけね~

6ヶ月あればあなたはがらりと変わる ~Rewrite of 『大変お待たせいたしました、guts koporu takkaです!』~

こんばんは

 

フリーキーアナリスト

guts koporu takkaです

 

 

 

また新しいシリーズ

『リライトかよ!?』を始めたいと思います

 

リライトと言いますのは、これまでに僕は幾つかのblogを立ち上げて来ましたが、

僕はつねに〝オールジャンル〟を意識して書いていますので、ジャンル分けのためにblogを複数運営しているということではなく、いまこのblogをやっているということは過去に立ち上げたblogには基本触っていません

 

しかし、過去のblogにも我ながら良い感じやね‥というエントリが眠っていますので、

(もちろんいまも過去のblogを訪れてくれている方はいますが)

 

過去のblogの再掲載をこのblogで不定期でやっていこうかな、と思っています

はい、そこのあなた

 

手抜きとか言わないように!!

 

いや、マジメな話、ほんとに眠らせておくにはもったいない記事がてんこ盛りなんですが、かと言って当時のblogをそのまま載せるのは僕的にも細部に見解の違いとかがあるんじゃないかな、と思いましたので、

 

Rewrite、りらいと、リライト

 

 

ということで、いまの僕の視点で加筆修正しながら書いていこうかなと思います

てかここまで前振りが長い時点で手抜きじゃないことはわかるっしょ?w

書くことは嫌いじゃないんです。大好物

 

けど、光を再度当ててあげたい子どもたちがいる

 

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ということです

 

 

 

シリーズタイトルの『リライトかよ!?』には特に深い意味はありません

タイトルどんなんにしようかな~と考えたとき、瞬時に頭のなかでさまぁ~ずの三村がタイトルコールをしてくれた、というだけのことです‥w

 

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(俺かよ!?)

 

 

 

 

 

今回のリライトは、前blogの所信表明に手を加えていきたいと思います

(以下、加筆修正を加えた前blogのエントリ)

 

 

 

旧blog(前blogのもうひとつ前のblogですね)を読んでくださっていた皆さん、

そして初めましての皆さん、こんばんは

 

あなたの、わたしのguts koporu takkaです

(当時からこんなノリです)

 

blogを移行すると言いながらかなりの時間が経ってしまいましたが、

無事に戻ってまいりました

 

そうです、わたしがguts koporu takkaです

 

可愛いこみちゅのお父さん、guts koporu takkaです

(名前をアピールしようとしているのでしょうか、しつこいですね~

それはいまでもおんなじだけどw)

 

 

 

 

blogを移行した理由は多々ありますが、ここでは長くなるのでやめておきましょう

 

前blogでは書籍紹介というカタチで記事を書いていましたが、

(実際にはほとんど書籍の紹介はしてなかったけどw)

 

今回のblogのコンセプトは

 

〝人生のすべてを体現するblog〟です

 

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僕がいつも学ばせていただいている金山慶允さんことサトリさんという方がblogのなかで、

自身のミッションステートメントについて書かれていました

 

ミッションステートメントというのはまあ、

 

自身が使命として課すもの

 

と言いますか、

 

自分の人生として発見したもの

 

と言いますか、まあ定義はここではいいんですが、

サトリさんが言っていたのは、

最初はかなり多くのものを設定していたけど、

突き詰めていったら結局3つくらいになった

 

ということ

 

大枠で捉えて、あまり細かく意識し過ぎることに意味を感じなくなった、

という感じだったかな

 

それを読んでいて僕が辿り着いたのは、

 

「それを言ったら、俺が実現したいのは‥俺の人生のすべてだな!!」

 

ということでした

 

それこそ、何が欲しいとか、どうなりたいとか‥

 

極端な話いまのこの考えを真逆に否定することになったって

 

それらをすべて実現したい

実現させてやりたい

いや、実現するのだ!!

 

ということでした

いちばんそれがsimpleなんじゃない?と思って

 

まあサトリさんのようにいろんなものを絞り込んでいってひとつになったわけではないから、

ちょっと意味合いは違うかもしれない

(当時はこう言ってますが、当然、いろいろ考え行動した末にそういう考えに至ってるわけでございます)

 

だけど〝考える〟ことに関してはふだんから考え過ぎなくらい考えてるので、

そう思うならそれが良いんじゃない?

ということになったわけです

 

 

 

ですので、このblogに関してはとくにジャンルを限定しません

(当時から基本はオールジャンルです)

 

僕が僕として自然に必要を感じたものを、すべて取り扱います

 

前blogを読んでいた方ならご存じかと思いますが、

僕はネットビジネスを勉強、実践中です

 

なのでそういった意味で言えばジャンルやターゲットを絞って書くのがセオリーなのかもしれませんが、

とりあえずそれでは

 

僕が楽しくない

 

のでこのカタチでやってみます

 

 

 

ということで、今回はごあいさつ代わりですのでこのへんにしておきましょう

 

あ、このblogは前回のblogの最初のように

 

「なにがなんでも3ヵ月書き続ける‥!!」とか、

 

「必ず週に一度は書きます!」とかは全然考えていません

 

気ままに書きます

 

まあ、定期で書いていたほうが読者の方もチェックしやすいのは承知していますし、

親切なのかもしれません

そういうふうに書くときもあるかもしれませんが、基本のスタンスは

 

気まま

 

でいこうと思っています

(現在のこのblogは、一周回って3日に一度の定期ペースで運営しています

たしかに〝降りてきた〟ときだけ書いたほうが圧倒的に質は上がるんだけど、

それだとさり気なくfade outしていっちゃうんですよ、僕がww

 

最近は自動投稿、自動シェアという必殺技も覚えたので、無理なく定期ペースで運営できています

また、〝量か質か〟という話は非常にデリケートで、結論を言えばタイミングによってどちらとも言えます

blogに関しては基本的には量より質を重視していったほうが後々良い感じなのですが、

量をこなすことは馬鹿にできません

それは単純にアクセスアップがどうのこうのって話ではなくて、

文章の質、言い回し、リズム、etc...

それらはやはり、圧倒的な量をこなして初めて、質に転化していくことは確かだからです)

 

 

 

 

とりあえず書き出そう!と始めたので、

まだタイトルすら決まっていない当blogですが、

どうか皆さん、あたたかく見守っていただけたら幸いでございます♪♪

 

したっけ!(北海道の言葉で、じゃあね!という意味)

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ふ~む、なるほど‥

(あ、ここから通常営業です)

 

リライトというより自身のblogの解説みたいになってますが、

(わかりやすいかと思い解説部分は青字にしていますが、もちろんさりげなく加筆や修正は入れてます)

 

 

そんなに大きく考え方は変わっていませんね

そりゃそうか、前blogだったらまだそんなに時間は経過していないからね

 

 

しかしですね、大事なこと言っておきます

数ヶ月、半年もあれば人間は、人生はがらりと変わることが可能です

 

 

それこそ過去blog部分で出てきたサトリさん

今年の初めくらいに、彼をきっかけに知ったイベントがありました

 

7月に宮古島で開催された、世界の要人を招きエネルギーや経済について考えるというイベントでしたが、内容にも惹かれましたがとにかく直観的に‥

 

ここには何かがある

 

と感じました。しかし当時の僕は、行きたいけどここに投資できるだけのお金が‥

と考えました

 

それをそのまま彼の投稿にコメントとして書いたところ、

「半年も先の話なのにそんなに簡単に諦めちゃうんですか?

マジメな話、そういう自分の限界を勝手に決めてしまうようなところ、

自分自身の思考のクセを見つけて、ひとつずつ紐解いていくことが大切ですよ」

 

という返信をいただき、これをどう解釈するかはその人のタイミング次第だと思いますが、当時の僕は

 

「あ、そのとおりや」と思いました

 

 

すぐにfacebook上の自分のタイムラインで参加を宣言し、するともう頭は

 

どうやって参加するか

 

ということしか考えなくなっていました

そしてなんだかんだ7月、家族で宮古島の地に立っていた

これは僕にとってとてつもなく大きな経験です

 

自分では使えないと思い込んでいたお金を使えたこともそうだし、まあいろいろね

これがあったから僕はいま大阪にいるということも言えます

比べれば、ずいぶんハードルは低かった

 

 

 

 

なのであなたも、いまの自分だけを観て

この先楽しいことなんてあるんだろうか‥

 

なんてあほうなことを考えるのはよしましょう

来年の話をすると鬼が笑いますが、

2ヶ月以上先の話であれこれ悩んでいるようだと、

 

guts koporu takkaが笑います

 

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ということでリライトシリーズ第1弾でした

したっけね~