しっかりと地に足をつけて、されど頭は雲のうえ。

あなたの囚われている枠を壊し、想像を超えた自由を実現させます

速読?乱読?じっくり?‥‥全部正解だから好きに読めい! ~Rewrite of 『guts koporu takka的読書論』~

こんばんは

 

 

guts koporu takkaでやんす

 

いま、これを聴きながら書いています

www.youtube.com

 

エイミー・ワインハウス

若くして逝ってしまいましたが、新しい音源が聴きたいと‥

いまでも思うアーティストのひとりです

 

 

 

 

 

 

今日は『リライトかよ!?』シリーズをお送りしたいと思います

以下、前blogの加筆修正記事となります

 

 

 

秋は夜が長いので読書に向いています‥

 

なんて言ってる人はいつまで経っても本を読まない人なんだろうなあなんて思ったりします

 

guts koporu takkaです

 

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どうして人は本を読むのか

または読むべきなのか

 

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この世界に〝すべきもの〟なんて存在しませんが、

まあそこはあなた、固いこと言わんてといて、

ここはそういう表現にしておきましょう

(話が進まなくなっちゃうしね)

 

 

 

初っ端から身も蓋もないことを言ってしまえば、

 

別に本である必要はない

 

のです

 

 

なぜなら本を読むことの本質は、

あなたが我流で生きているだけではほぼ確実に知ることのできない世界を覗き、

視野を広げる。と言うよりは

 

〝自分の延長線上にない世界〟を知るということだからです

(ここは加筆部分ですが、少し言い方を変えて付け加えるならば、

〝意図的に視点を変える〟ということでもありますね)

 

 

なのでそれは映画だって良いし、誰かと交流することだって良い

〝ひとりの老人が死ぬということは、図書館が一軒焼け落ちることだ〟

 

とはよく言ったものです

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(当blogのマスコット的存在、勇気の象徴バフェットさんです

まだ焼け落ちていません)

 

 

いちばん濃いのは僕も〝人と交流すること〟だと思っていますが、

本に比べて人と会うことは、

 

〝多種多様な世界に触れる〟

 

という意味であまり効率的ではありません

自分とはまた違った見解を持った刺激的な人たちと交流するためには自分のふだんの行動範囲を大きく広げる必要があり、

それはとても大切なことなのですが、

費用対効果を考えるならばやはり本がベストなんじゃないかなあ、と思いますね

(現在の僕で言えば、北海道から大阪に引っ越して来ちゃう、というように拠点を移動してしまうという方法もありますけどね)

 

 

人間同士の交流はその相性やタイミング、場所によってその人がふだん公開していないような貴重な情報が手に入ったりもします

それは人間の内側の流動性や相性などによるものもありますが、

 

それとはある意味逆に、

本というものは書こうと思ったら誰しもある意味かしこまるものだと思います

僕は本を書いたことはありませんが、

それはblogにしたって同じこと

 

僕はふだんはfacebookに投稿することのほうが多いけれど、

ちょっとかしこまって書きたいときはblogを利用する

(いま思えば、かしこまって書きたいとき、というよりは

facebook上でアウトプットしたものをある程度まとまった形にしたいとき、

ですね)

 

 

 

いまはいい意味でそれを活用できているけど、

その〝かしこまってしまう〟という性質ゆえに、

僕の持ち味と言うかこのノリを出すために、

かなりのtry and errorを繰り返しましたよ

 

かしこまり過ぎて、ガッチガチの文体になっちゃう

誰これ?って感じの

 

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基本的には〝読み手の側に立った情報を提供する〟ことが求められますからね

僕は自分が書きたいこと書いてたほうが周りがおもしろがってくれるという自覚があるので好きにやってますが、最初はさまよいましたよw

(ここに関しては、情報発信で成功している人って、とりあえず僕の周りは

まじめ~な感じの文章を書く人が多かったので、

「そんな感じでやったほうがいいのかあ‥。むしろやらなきゃダメなのかあ」

とさまよったわけです

 

けど、んなこともないはず、と粘って探し続けたらはっちゃけた発信をしながら成功している人たちを見つけ、「やっぱりね!」となったわけです

 

また〝読み手の側に立つ〟というのは内容とかを無理やり相手の側に寄せる、

とかそういうことでは必ずしもなく、誤字脱字をしないようにするとか、言葉の端々や行間にこだわるとか、要は相手がどうすればより読み易いかということを考えることでもあります)

 

 

 

 

 

だけど、だからこそ本(またはblogやメルマガ)には価値がある

書き手が人生をぶつけてくるからです

 

まだまだ電子書籍より幅を利かせていると思うのであえてこう書きますが、

一冊の紙の本を出そうと思ったら、

そりゃあ人生を総動員させてくるでしょう

(これは電子書籍でも同じかな、と修正しようと思いましたが、

電子書籍は紙の本に比べてやはり幾分ライトに出せるところがありますね

そこは良いところでもあります)

 

 

 

そういったものを受け取るという意味では、

よほど賞味期限がある類の情報でない限りは、

本物は古典として読み継がれていくわけです

 

 

大げさな話ではなく、一冊の本を読んだことで、

あなたの人生は昨日と今日で180度変わることだってあるのです

視点が変われば、昨日と同じ場所に、まったく違うものを見出すことが可能になるのだから

 

 

あれ??こんなものここに置いてあったの?!ってね

 

 

 

 

本を読んだ時間をより活かすためには、アウトプットすることです

 

一冊からひとつでもいいから実践する

 

もしくは読書ノートを取ったっていい

(読書ノートを取ることはモデリングという著者の軸をコピーする作業と言い換えることもできます)

 

 

あえて真逆のことも書きますが、

何かを感じ取ったなら、まるごと忘れてしまってもいい

 

「なんだかおもしろかったな」で終わってもいい

 

どちらも間違いではありません

そのときのあなたが、感じるようにすればいいのです

 

 

 

 

そのときのあなたが感じるようにすればいい、と言えば、読み方なんてのもそうですね

 

よく意見が分かれるところですが、

どちらかが正解でどちらかが不正解なんて馬鹿らしい

好きにすればいい

 

一冊の本を何度も何度も、味わうようにゆっくり読みたいときもあります

 

とにかくたくさんの本を同時進行で乱読したいときもあります

 

どっちが正しいかなんて議論は滑稽

 

ゲスの極み乙女です

 

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だってよく考えてごらんよ

意地にならないで、素直になってごらんなさい?

 

ほんとにすべての本を同じように、じっくりと何度も読みたいと思いますか?

ほんとにすべての本を同じように、速読したいと思いますか?

 

〝あなたの読み方〟があるのではなく、

〝本に合った読み方〟があると考えたほうが自然ではないですか?

 

 

さらに言えば同じ本でも、人によって〝本に合った読み方〟は違うのです

 

誰もあなたの本の読み方なんて気にしやしませんから、

感じるままに、好きなように読んでみなさいな!

 

 

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ここから通常営業です

 

この過去記事、ほんとはここからもう倍くらい、刑務所での読書の話が続いていたのですが、自分で直していて

 

長いよ!長過ぎるよ!!

 

とうんざりしたので、

(こういうのもまさに読み手の目線が足りなかった、ということでしょう)

 

それは別の機会にリライトすることにします

ちょうど刑務所のことを書いているシリーズも走っているところだし

 

 

 

読書には、いろんな方法、テクニックみたいなもんもありますが、

どんな読み方をしても必ず意味があります

たとえば数冊の本を同時進行で読んだりすると、一冊だけ読んでいたのでは理解しきれなかった部分がいきなりストンと腑に落ちたりすることもあります

同系統ではなくまったく違ったジャンルの本であってもね

 

と同時に、前述していますが一冊の本をじっくりと味わうことが必要なタイミングだってあります

 

好きに読めばいいんですよ

 

けど読むからには真摯に、愛情を持って本と向き合ってほしいなあ、

というのがひとりの本好きからの願いだったりします

 

 

 

 

じゃ、今回はこんな感じで

したっけね~