しっかりと地に足をつけて、されど頭は雲のうえ。

あなたの囚われている枠を壊し、想像を超えた自由を実現させます

どうして恋愛とふだんのコミュニケーションを分けて考えるのさ? ~Rewrite of 『洗脳と愛の告白を科学する』~

こんばんは

 

フリーキーアナリスト

guts koporu takkaです

 

先月末に大阪に越してきた僕ですが、

いまは新宿駅近くの某ネットカフェでシャワーの順番を待ちながらこれを買いています

(とこれを書いてたらソッコーで呼び出されていま戻りました

30~40分待つって言ってたのに‥)

 

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僕はパチンコ屋さんの社員をしていたときは音がまったく苦にならず、

データ入力をしていたときは12時間PCとにらめっこしていても全然目が疲れなかったり、

大阪にやって来たら思いの外暑さが平気であったり‥

我ながら順応性が凄いんです

 

と同時に、先日友人に

「お前は何処にいてもお前だな」

 

と言われたり

(これって一聴して矛盾してますよね?)

 

 

そう、僕はだいたい何処にいても馴染むし、

(なんせ刑務所生活にも慣れていたから‥)

 

行ったことないけど海外にいても僕は僕です

(ホテルマンだったときに外人さんと会話すんのにまったく違和感なかったしね)

 

 

 

どうしてそうなのか?

その要素のひとつはまさにいましていることかもしれません

別に新宿にやってきたからってヤッホーってわけでもなく、

(多少はテンション上がりますけどね)

 

物珍しそうにあちこち行かなくたっていいし、目的の場所にだけ行けばいい

んで定時のblogはここでだって書くし、決まった時間にシャワーも浴びる

 

そういう工夫をしているからかもしれませんね

何も毎日が変わらないとか、そんなつまんないことを言ってるわけじゃありません

だけど、二度と同じ日は来ないからこそ、自分のなかに変わらないルーティーンをつくっておくことは大切なんじゃないかな、と思います

 

このくらい都心にくればそれは目移りするほど情報が溢れていますが、

いまの時代は、ド田舎にいたって情報は過多です

 

だからこそ、自分のアンテナを張って一直線に進むことはとても大切です

情報を浴びに行くのと、情報に被弾するのはまったく意味が違うと僕は思います

 

 

 

 

 

ではここから前回より始まった『リライトかよ!?』シリーズを展開したいと思います

 

前回の内容はこちら

guts-koporu-takka.hateblo.jp

 

 

 

ここから、前blogの記事をいまの感性でリライトしていきたいと思います

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

 

 

 

結婚して1児の父となっても気分は童貞

guts koporu takkaです

 

童貞の味方guts koporu takkaです

 

 

さて、俺はいま週に1本映画を観るようにしてるのですが、

 

久々に邦画が観たいなあと思い、ノートにメモってあった映画

森山未來主演の

 

モテキ

 

を観たんですね

(なぜメモってあったかと言うと、知人に借りて読んだ原作の漫画がとてもおもしろかったから)

 

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こみっちゃん(こみつ。4ヶ月)が早めに寝てくれたので、

夫婦で童貞に戻りながら楽しく鑑賞していました

 

本題とは違うので軽めに映画のレビューをしておくと、

(内容に触れますので注意)

 

たとえば主人公に振られて潔く諦められなくて号泣しながら追いかけてくる女性がいて、

 

「なにをやめれば振り向いてくれるの~??」とか、

 

「あなたに全部合わせるから~!」

 

みたいなことを号泣しながらさらに畳みかけますw

 

まだ見た目が麻生久美子だから見れたもんですが、

実際にやられたら(もしくはやったら)ドン引きを通り越して恐怖だと思います

 

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(問題のシーン。号泣しながら走り出す直前)

 

だけど、まあ映画内のキャラクターとして極端に、

〝ひとりの人間のなかに〟そういう要素を集中させているんだろうけど、

 

人間であればそういう要素は誰にだってあるよなあ、

というのが観て思ったこと

 

引き際を間違えて、見苦しくなってしまったり

(これは一回間違えたくらいじゃ学習しきれないから厄介w)

 

惨めだとわかっていても無理やり相手に合わせてすがってしまったり

 

それこそストーカーぐらいまでいったって、

「そんな部分わたしにはないわ。一緒にしないでちょうだい!」

 

なんて言い切れる人はいないんじゃないかと思います

もしいたら、そういう人とは友人としても親しくはおつきあいしたくないですね

 

自分の中の闇を認めていない人というのは本当にこわい

〝なにかあったとき〟には平気な顔で他人に正義の鉄槌をくだし、

なおかつ不特定多数の〝みんな〟を召喚して叩き潰しにかかる

(ほんと、この〝みんな〟ってやつはどこにいるんですかね?

一度全員集合させてみてほしいです)

 

傍に置いておくとある意味いつもドキドキする存在ですねw

 

 

話が少し逸れましたが、他のキャラクターにしてもそれは一緒

それを考えたら〝キャラ〟とかって言葉は、

まあ個性とも言うか、

なにかの一部分が突出している状態を指しているんだろうけど、

それぞれの要素はすべての人に存在するし、

どの部分がより濃く出て来るかはタイミングや年齢、

置かれた場所によって変わるのだから、

 

そういう意味ではあまり〝個性〟なんてものを意識しても意味がないような気もしますね

「あら、わたしは最近こんな感じなのね?」

 

くらいにとらえておいたほうが、

無意味に自分を限定することもなくて良いのではないかな、

と思います

 

「わたしってこんな人」

 

というのは冷静に言えば〝過去のパターンの集積〟でしかないわけだから、

そこにこだわっちゃうとマイナスに作用することも多いですよってことです

 

〝いままでのあなた〟は

〝これからのあなた〟に、

そういった意味では関係はないのです

 

自分の過去のパターンにあるとかないとか、

そんなことはまったく気にせずに挑戦しましょう

 

 

 

 

 

本筋ではないので映画のレビューはこれくらいにしておきましょうか

 

あなたは、〝洗脳〟と聞いたらなにを思い浮かべますか?

 

新興宗教だったり、

オセロの黒いほうだったり、

 

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(本人の画像を持ってこようかと思いましたが、ちょっと悪意があり過ぎるのでやめました

頑張ってるだろう人の足を引っ張りたくないですしね)

 

 

 

 

いずれにせよあまりパッとプラスのイメージに繋がる人は少ないと思います

 

しかし、多くのマイナスイメージで捉えられている言葉と同じように、

それこそ育ってきた環境や時代によって言葉のイメージなんてものはいくらでも変わるものです

 

たとえば昔から紛争などはあっただろうし、

実際の信者たちの実態とはまったくイコールではないはずですが、

あなたは

 

イスラム

 

という言葉に、いまほどのマイナスイメージを持っていましたか?

おそらく自然とマイナスイメージを持ってしまう人が多いんじゃないかなという前提で話していますが、

イスラムという言葉にこれほどのマイナスのイメージを膨らませるようになったのは、

どれだけ遡ってもここ数年のことではないでしょうか

 

いえ、正確に言えば9.11のテロなどいくらでも出てはきますが、

わたしたち日本人が〝それなりに激しく〟マイナスのイメージを持ち始めたのは、

きっとイスラム国の登場を境にしてるんじゃないかなあと思います

自国の人間が処刑される動画が公開されるなど、

ネガティブを通り越して肌感覚で嫌悪してしまっても無理のないこともありましたからね

 

 

話を戻すと、言葉にこめられたイメージや背景なんてものは人によっても全然違うし、

なにかを機にいとも簡単に変わったりするものです

 

逆に言えば、多くの人が一般的にマイナスのイメージを持っているような言葉でも自分の捉え方次第でプラスのイメージを持つことは難しくない、ってことです

 

 

洗脳〟という言葉に関しても、

言葉それ自体が持っている力は決してマイナスなものではありません

マイナスにしてたらもったいないくらいのパワーを秘めた言葉です

 

たとえば、テレビや新聞を無意識に垂れ流すように見たり読んだりするのをやめて、

あなたが〝こうなりたい〟と思う人が発信する情報を取りに行く

 

そして継続的にblogやメルマガを〝浴び続ける〟

これも言ってしまえば洗脳です

 

自ら能動的に施す、または施されるのであれば、

それは自分の現実を変えるための強烈な追い風になるということです

 

頭の中身が書き換われば、見える世界はまったく別なものになるわけですからね

 

 

 

 

今度は〝無意識に〟施されている可能性のある洗脳のお話です

 

それはさっきちらっと出てきたように、

テレビや新聞など一般的な家庭なら身近にあるようなメディアから受けやすい傾向があります

政府がメディア操作をしてどうのこうの‥というような大きな話までいかなくても、

わたしたちが〝常識〟としていつの間にか共有しているもの、

 

を刷り込まれている可能性は大きいですね

大きいというか、実際多々あるでしょう

 

 

ここでやっとタイトルのお話になりますが、

あなたは

 

愛の告白

 

というものをしたことがありますか?

 

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「あなたのことがずっと好きでした‥」とか、

 

「アナタノコトガ、スキ、ダカラ!(チャン・ドンゴン)」とか、

 

「ずっと好きだったんだぜ♪(斉藤和義)」

 

とかいうあれです

 

恋に恋するお年頃であれば、恋愛におけるG1レースのような一大イベントかもしれませんね

告白なくして恋にあらず!!みたいな

 

また、ある程度歳を重ねても、

場合によってはおじいちゃんおばあちゃんになっても、

演出や状況によっては素敵な愛の告白は成り立つかもしれません

 

そう、それは〝状況〟や〝前提〟によっては成り立つ

という性質のものなのです

前提とは、そこまでの関係性距離感のことね

 

けして愛の告白自体を否定するものではありませんが、

それなしじゃ恋愛は成り立たない、というものではない

 

むしろ愛の告白を大前提として捉えてしまうと、

うまくいかないことが圧倒的に多いのではないかと思います

 

 

冷静に考えてください

たとえばさっき書いた〝前提条件が整っている〟場合

お互いにもうどうしようもないくらいに両思いだったりする場合は、

愛の告白はうまく機能する可能性が高いでしょう

 

むしろ、そういうのがないとなんだか不安、

という人もいるかもしれません

(僕もそんなとこあったので、しばらくしてからわざわざ関係を確認したりもしました)

 

だけどよく考えてみてください

いや、むしろ考えないで感じてみてください

 

愛の告白〟をゴールとして楽しんでるならともかく、

せっかく良い関係性なのに、

突然

 

「あなたのことが大好きです!お付き合いしてください!」

 

なんて言われたら、心のどこかで引いてしまいませんか?

もしくは一気に重たくなりませんか?

 

たとえ、お互いに好意があったとしてもです

 

 

 

機械じゃないので常に50対50でお互いが想い合ってるなんて関係はありえませんし、

特に告白された側が割合30とかだった場合は最悪ですw

一気に15くらいまで気持ちは減退するのではないでしょうか

 

それは愛の告白という行為が、相手を囲い込む行為だからです

逃げ道を奪ってしまうのです

 

 

これからお付き合いがスタートするかもしれないという段階で、

逃げ道を塞がれたらイヤですよね?

それは男も女もおんなじです

 

〝交際中です〟という札をぶら下げずに、相手がどんな人間なんだか観察したいという気持ちがあっても、

〝確定〟させてしまうことで逃げ道がなくなる

あなたのことは嫌いではないけれど、そうくるのであればちょっと今回は‥

となってしまうわけです

(まあ世の中には僕のように尻が軽い男や女がいるので、うまくそのへんを利用してかわすことも考えられるので要注意ですが!)

 

 

 

つまり、多くの場合〝愛の告白〟というものは

 

コミュニケーションの手段として破綻しているわけです

 

もちろん先述したように必ずしもってわけではないし、

演出によってはそれが最高に機能することもある

 

けれど多くの人が、当たり前のように

〝別にやらなくてもいいこと〟

 

もしくは

〝やらないほうがいいこと〟

 

まるで義務のようにやってるわけです

不思議じゃないですか?

 

 

 

さあ、それはどこに端を発しているのか

 

いつものようにテレビや新聞!と言いたいところですがこれに関してはマンガでも映画でもなんでも当てはまるでしょうね

 

日曜の夕方と言えばサザエさん

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みたいなノリで

交際関係のスタートと言えば、愛の告白

 

というイメージをすり込んだ戦犯を特定することはなかなか難しいでしょう

また、ある時代にはもっと機能していたのかもしれないし、

(婚前交渉がタブーな時代とかね)

 

いまでも「告白がないなんてイヤ!」って人もいるかもしれません

そこまでいかなくてもなんか気持ち悪いなあって人はきっと多いでしょう

 

 

しかし〝それ〟をいまだに過去のものにせず継続させているのは、

現場経験がそんなにない類のクリエイターさんとかが多いんじゃないかなあ、と思います

 

つまりは妄想の産物ってことです

僕はプレイボーイでもなんでもないですが、

そこそこ恋愛をした経験があれば、愛の告白なんてものが多くの場合余計でしかない、

ってことは感覚として理解するはずですが、

 

想像(というより妄想)だけでものを創ってしまうと、

現実とはかけ離れたものができあがってしまい、

 

しかも今回のケースはわりと〝常識として〟定着してしまっているものだと思うので、

なかなか疑われることもないってことですね

 

 

 

 

というわけで、割とよく

 

〝普通に生きているだけで施されている洗脳〟

 

的な話をしていますが、それこそ普通に生きているだけだとそう言われてもなにか特殊な話というか、身近なこととして感じづらいのではないかな、と思ったのでこういう例を出してみました

ちょうどモテキ観たとこだったので

 

いつもよりは、ちょっと身近なことに感じたでしょう?

 

まあ、僕のblogにたどり着いている時点で、

普通に生きてきただけの人なのかはあやしいですがw

 

 

 

さて、ここから通常営業です

う~む、いいこと言ってんなあ俺!

 

 

今回はほとんど直すとこないなあ‥

と思いきややっぱちょこちょこは直しました

 

あなたはどう思います?

僕に関しては、もちろん告白をしてうまくいったこともありましたが、

多くの場合は余計でしたね

 

 

というより、ここで新しいことを付け加えておくとするなら、

愛の告白というのは飛び道具、またはドラえもんの秘密道具ばりに

 

これさえあればなんとかなる

 

というような変な必殺感があるので、とにかく最終的には告白すりゃあいい、

みたいな感じでそれよりも全然大切な

 

関係性とか距離感をしっかり温めていくことを忘れがちなんですね

だからうまくいかなくなってしまう

 

こんなの、恋愛だけじゃなくてふだんの人間関係でも同じことなんですが、

なぜか恋愛になると(特に男は)見境いつかなくなるから不思議です

 

はい、僕も痛い思いをたくさんしましたよw

 

 

 

てことで、別に告白したらダメだよってことではなく、

それよりももっと大切な、やらなきゃならないことはあるから、そこを見失わないでねってことです

当然「あたい告白がなきゃ誠実さが感じられないからいや!」って女子(もしくは男子)もいますから、そういう人にアタックするときは気をつけてくださいw

 

そういう人は、恋に恋してるのでそっちのが注意ですけどね

 

 

んじゃ、したっけね~