あなたの人生の時間は、あなたが管理するものです~guts koporu takka、大阪に参上~
こんばんは
ついに‥ついに北海道は函館から来てしまいました
府民総お笑い芸人の街、大阪へ!!
フリーキーアナリスト改め、
浪速のguts koporu takkaと呼んでやってください
とまあ、書いてはみたものの、実際の大阪人はみんながみんなノリノリで、話の最後には必ず落ちを求めていて‥
みたいな人たちではないようですw
当たり前か!
なかにはやっぱり素人にしてそのレベル‥的な高レベルなやりとりを見せてくれる人たちもいて勉強になりますが、all timeボケと突っ込みじゃ疲れちゃうしねw
ということで29日のお昼前に函館を発ち、13時くらいには大阪入りしていたわけですが、大家さんと書面的な契約を済ませ、
(でもこれ、どうしていまだに対面でのやり取りだったり、実印が必要だったりするんだろうね?
いまや印鑑なんて簡単に偽造できちゃうのにさ。ほんと日本のハンコ文化には辟易してしまいますな!
ついでに何か所も何か所も同じ住所と名前を書くのがほんとに面倒だったので、
「手書きとかほんと無意味ですよね」
的なことを言ったら明らかに空気が変わったのがわかりましたw
あ、ここは理解が相違するポイントだな、と察してそれ以上は言わないでおいたけど
guts koporu takka氏は、あえて空気を読まないことは多いですが、空気自体は人一倍感知しているのです)
その夜のうちにはもう人と会ってました
リアルでは初対面の友人と
ミチマリーという、一級建築士の資格を持ってリアルな会社を経営し、
なおかつ住空間を考えるための発信活動をしている人物です
(ミチマリーという怪しい名前は、僕がネット上で属している某コミュニティ由来のニックネームです
そこでは僕はタカマリーですw)
これもこっち(大阪というか、本州というか)に来た狙いのひとつだからね
繋ぐべきネットワークを素早く構築していくために、環境を変える
これは本当に大切なことです
いまの時代は何処にいても何かができないということはないですが、北海道にいると物理的な距離感がやはり凄いので、Skypeとかではなくここは直で‥というのがなかなかに難しい
交通費とか凄いからさw
やたらと人に会えば、ただとにかく人に会えばいいということではないけれど、
やっぱり会わないと動かない何かは確実にある
そして、facebookをフォローしてくれている方はご存知かと思いますが、
浅里川(小樽)
そして今回の大阪を合わせて最近だけで3回同じ類いの経験をしましたが、
同じ方向を向いている人たちと話すことができる
というのは本当に濃い、ふだんが3~4倍くらい(当社比)に圧縮されたような時間を過ごすことができます
今回ミチマリーとしみじみ見解が一致したのは、
本当に周囲の人間と話が合わない、ということ
翻ってあなたはどうですか?
職場の人間、もしかしたら学校のクラスメート、ゼミ仲間、そして家族‥
すべてが100%意見が合う、なんてことはあり得ないけれど、びっくりするくらい方向性が一緒、なんて人、周りにどれだけいますか?
気がついたら小学校に入学し、ほとんど同じメンツで6年間、下手したら9年間を過ごし‥
なんて状況、よくよく考えたらヤバいんですけどね
そんな逃げ場のない環境、いまなら絶対にお断りです
そりゃあそれだけ水が濁るほど一緒にいたら、虐めるアホも虐められるヤツも出てきちゃうぜって話
と言うと
「いや、学校というのは共同生活を体験する場所でもあり‥」
なんてお決まりの反論が来そうですが、それができる場所ってほんとに学校だけなんですか?
地域のスポーツ少年団だってなんだって、いくらでもそういう場所はある
思考停止しているだけのことです
そしてこれは離婚経験者にはもの凄い同意を得られるんだけどw、
(僕は初婚ですよ)
そもそも夫婦や親子って必ずしも一緒に住んでいなければいけないわけじゃない
これも、大阪に単身でやってきた理由のひとつです
お互いに毎日必ず変化しているし成長しているはずなんだけど、近過ぎるとそれが見えない、気づけないんですね
悪いところが先に目についてしまう
子どもの成長に関しても同じようなことを感じました
たしかに少し昔であれば、夫婦が一緒に暮らしていく意味は小さくありませんでしたし、昔の偉い人は
「成功したければ、パートナーシップを大切にしなさい」
と言ったものです
パートナーシップの大切さはいまでも変わらないと僕も思います
しかし、意味合いは変わってきているのです
妻が夫を支えるために家庭に入る、というような時代ではないからです
いまは経済的に特に問題なかったとしても、夫婦ともに自分の人生を考え、働く時代です
それはとても良いことだと思いますが、同時に特に一緒に住むという必要性がなくなったとも言えます
それ以前に結婚という概念も‥とまで言及すると長くなり過ぎるのでやめときますが、まあそういうことです
先人たちの言葉は、普遍的なものもあれば、時代とともに変わってしまうものもあるということです
そういったことは夫婦や親子関係だけでなく、親友とかでも同じです
僕はいままで、近過ぎてたくさんの関係を壊してきました
唯一無二だと思っていた親友と暮らし、壊滅的な仲違いをしたり
ほんとに仲良くて面倒を見てくれた人と、最後の最後で信じられない揉め方をしたり
(理解不能過ぎて、宇宙人と話してんのかと思いました)
よく、
「いちばん近い人に感謝の気持ちをきちんと伝えよう」とか、
「家族だからこそちゃんと謝ろう」なんて言いますよね
僕は、少し違うと思うんです
感謝や謝罪の気持ちをきちんと伝えるためには、
適切な距離感を保たなければいけないんじゃないかな
と、これまでの経験を通して切に感じます
もっと根本的なところに変えるべきポイントがある、と感じたのです
経験的に人は近過ぎると2~3ヶ月周期で大きな揉めごとになるのでw、
そこを逆手に取って、数カ月一緒に住んだらまた別に暮らして、とかそういう関係性もありでしょうね
世間からおかしな目で見られるって‥?
そんなことをあなたが心の底から思うなら、僕のblogなんか読んでいないでしょう
そんな殻は、破り捨ててしまいなさいな
さて、いつもどおり話が逸れましたが、元の路線に戻すと、
というか脱線した話も含めて、
人間関係はあなたの好きなようにデザインしていっていい
むしろ、能動的にデザインせず、受け身のままでいたら、どんどんあなたのこころは硬くなっていってしまうでしょう
適切な距離を取ることも
まあまあ好き、ではなく本当に会いたい人に自分から会いに行くことも
すべては、あなたの自由です
世間の尺度は、特に関係ありません
大阪移住最初のエントリは、そんなお話でした
したっけね~