しっかりと地に足をつけて、されど頭は雲のうえ。

あなたの囚われている枠を壊し、想像を超えた自由を実現させます

LINE blog始めました

読者登録をしてくれている方、
新規で読みに来てくれている方、ありがとうございます
 
僕はいまLINEblogのほうをメインに書いています
 
 
このblogで書きかけであった〝刑務所でのお話〟もそちらで書いており、
もう少しで終わりそうです
 
続きが気になっている方は、ぜひ見に来てくださいね
 
 
 
以下、LINEblogでの最初の記事を上げたときの、
facebookへのシェア文を転載しておきます
 
 
~~ここから転載~~
 
 
 
著名人向けと違いまだまだ仕様やツールの関係で未知数な部分の多いLINE blogですが、
おそらくさしたる時間はかからずにamebaの牙城は崩されると思われます
 
だって雰囲気そっくりなうえに、スマホに馴染みがあるのはどう考えてもLINEだもんね
昨日も書きましたが、どんどん時代は
 
 
 
という認識になっていきます
デスクトップやノートが消滅するということはとりあえず無いにしても、
一般的な人たちがPCを使う用途は、ほとんどスマホで完結するようになっていくでしょう
 
だってMacとか買って、どうせならと18万くらいのハイエンドなモデル買ったりして、
結局たいして使ってない、なんてことはざらでしょう?
一般的には、そんなもんなんです
 
スマホ及び周辺アプリが一般層の『問題』を解決してしまえば、
わざわざ時間かけて既存のPCを立ち上げようって人はかなり減るはずです
 
 
そういう意味で、スマホに特化した『LINE blog』には可能性があるんですね
 
 
 
もちろん、LINE blogを書き溜めているだけでは効果は最大限発揮されないかもしれないですね
LINEが勝手に人を集めてくれるわけではないですから
 
 
 
 
てことで、まずはさくっと『まえがき』を書いてみました
迷ったけど、とりあえず売りの〝LINE絵文字〟は使ってません(笑)
 
まあ、読んでみてください

スピリチュアルとのつきあい方~時代がそれを求めているのなら~

guts koporu takkaです
 
 
いま僕のコンサルタントをしてくれている方とメッセで話していた会話が我ながらシェアしないのはもったいない内容だったので、引用します
 

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これからの時代、
〝スピリチュアルな要素〟というのはとても重要です
 
僕らがどこからやってきて、どこへ行くのか誰も説明できないなか、なんでも科学で実証できていないとあかん、みたいなのはめっちゃ思い上がりです
世界はこれまでに、何度〝科学的な証明〟をひっくり返してきたのか思い出してください
 
 
けどね、だからといっててビタいち論理的な説明ができないようなことをただ妄信するのはもっと危険
カルト教団の信者まっしぐらです
 

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ということで、スピリチュアル的な要素とどうバランス良く付き合っていけばいいのか
さまよっているあなたのヒントになるんじゃないかと思うので、
以下引用文をどうぞ
 
 
 
~~ここから引用~~
 
 
スピ系の知識は本質を観れないまま入れていくとほんと危険で、
「ネガティブなことは考えないように‥」みたいなウンコみたいなさまよい方をすることになる
 
ちょうどさっき願望がひとつ浮かんだんだけど、いまだに俺も
「○○したい」という願望の抱き方ではダメだ‥みたいな感じになることあるんですよw
でもそういうことじゃない
だって俺は本気で決めたらそんな語尾がどうたらに関係なく実現させるもの
 
 
そういう意味では、確かに「○○したい」ではなく「○○する」みたいな意識の仕方のほうが良いのかもしれないけど、
〝既にそれが叶っているかのようなうんちゃらかんちゃら‥〟みたいなのは別に関係ないw
(在り方を整えるって意味では重要ではあるけど)
 
 
要はやるか、やらないか
〝実現させる〟という絶対の意志をもってやれるか
そんだけですな~
 
 
願望と在り方が重なっていない人に伝えようと言葉をいろいろ使うことによって、
逆にさまよう人を増やしてしまうという悲しい事態‥
 
 
 
~~ここまで引用~~
 
 
 
 
 
 
僕はスピリチュアルというものを否定しません
というか否定しようがない
それはたしかに、この世界を顕すひとつのカタチだから
 
けど〝誰がそれを語っているか〟には常に気を払ったほうがいいでしょう
その人の在り方を観て
信じるに値するのかどうか
別にスピリチュアルでなくてもなんだってそうです
 
ときには、自分が『本物』だと感じるふたりの人物が、まったく相反することを言っていたりすることだってあります
でもそれでも良いんです
この世界に『絶対解』なんてものはないのだから
 
それによ~く観察してみたら、そのふたりにも共通点があったりするものです
そして逆にそんなシチュエーションに遭遇したらluckyくらいのものですよ
 
あなたのメンターが同じ方向を向いてる人ばっかりだったら、
逆に不安になりませんか?
 
相反する
両極の考え方を同時に学ぶということは大切です
それがあなたに大きな実りをもたらすでしょう
 

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そう
この文章は、あなたに向けるというカタチを取りながら、
僕に向けて書いているのです
 
 
ほな!

『権威』に選んでもらうという発想を破棄せよ。あなたを評価しているのはいつだって『あなた』

guts koporu takkaです
 
おかげさまで無事昼の仕事が決まりましたが、ここであらためてひとつ
 
 

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なぜこれを書こうと思ったかというと、
ちょうどいま読んでた漫画に20代の新卒もしくは準新卒みたいな若者たちが出てくるんだけど、
 

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エントリーシートって何回書くんだろう」
 
ってセリフがあったから
 
 
 
 
 
 
権威に選んでもらう〟って発想は、捨てたほうがいいですよ
 
 
それだといつまで経っても評価の基準が他人だからね
 
 
たとえば上の「エントリーシートって‥」って話だと、
それがおかしいと思うならきちんと突っ込めるのはちょー大事です
 
「よくわかんないけど、会社がそう言ってるならそれが普通なんだろう」ではなくてね
 
 
 
たとえば今日こんなやり取りがありました
 
仕事が決まり、実際に働き始めるまでに一度現場見学があってお互いのマッチングを見るらしい
 
 
 
けどその前にエントリーを済ませ、その後のキャンセルはできないという
 
おかしいというか、意味わからないでしょ?普通に
 
 
 
その営業のお姉さんは人当たりもよく、別に感じ悪くはなかったのでやわらかめに、
しかしはっきり突っ込んだらちょっとしどろもどろになってたけど、後から考えたらたぶんそのお姉さんの営業上の都合なんでしょうね
メンツみたいなのがあるんでしょう
 

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特にそれ以外に問題はなく、いまのところ会社自体にヤバそうな気配はありません
(派遣系の会社はヤバいところも多いですね 笑)
 
 
 
ただ、おかしいところは普通に突っ込んだほうがいいし、
既存の価値観
 
明らかにおかしいけどなぜか慣例になっているようなこと
 
 
が正しいとは限らないので、ガシガシ突っ込んだほうがいいですよ~って話
 
 
そうするために必要なのは、
 
・評価の基準を絶対的に自分に置くこと
 (自己中心的に振る舞えってことじゃありません)
 
 
 
・いつでも辞める覚悟を持っておくこと
 (感情論ではなく、冷静にそういう準備を普段からしておくこと)
 
 
 
権威に選んでもらう〟って発想を捨てない限り、いつまで経っても『その他大勢』から飛び出すことはできないですよ
 
 
 
 
ってお話でした
 
 
 
 
 
 
どうしようもなく行き詰ったら考えてみてください
その会社が明日突然消えてなくなったら
 
あなたの人生になにか支障がありますか?
せいぜい、目先の生活費にちょっと困るくらいのことでしょう?
 

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あなたを『評価』するのはいつだってあなたです
誰かがあなたを低く評価していると感じるのなら、その人を通してあなたがあなたを低く評価しているというだけのことです

しっかり一日を〝締めて〟ますか?良いスタートの秘訣は前日の夜にある

guts koporu takkaです
 
 

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一日の〝はじまり〟大切ですよね
 
 
 
 
 
しかしそれと同等、もしくはそれ以上に大切なことがあります
 
 
 
 
それは一日をきちんと〝締める〟こと
 
たとえば僕は
〝自分が何をしているか〟を把握するために一日の行動記録を細かくアプリを使って記録していますが、
人間なので途中てんてこまいになって記録を付けきれないこともあります
 
基本は〝都度〟付けていますが、手が離せない作業が続いて「あれ、このへんもう覚えてないなあ‥」みたいなね
 
 
 
そういうときはざっくり付けることもあるし、何が何でも完璧に記録しきることが目的ではないので柔軟に対応します
 
しかし一日の最後だけはきっちり〝記録しきって〟おやすみなさいします
なぜでしょう?
 
 
 
「今日は最後ぐだぐだだったけど、明日の朝から仕切り直そう!」
 

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そんなことあなたもあるでしょう?
 
けど僕の経験上それはほぼ100%失敗します
翌日の朝も間違いなくぐだぐだでスタートすることになります(笑)
 
 
たとえば体内時計が働いていつも通りの時間に目は覚めたけど、なんとなく二度寝し過ぎちゃって大幅に寝坊、みたいにね
 
 
これにはちゃんと理由があります
 
人間は寝てる間に、
〝寝る直前の精神状態や思考〟を何万回も脳内でリピートします
 
つまり、寝る直前に最悪な精神状態で眠りについたら、睡眠中にそれが何万回もリピートされ、起きたら間違いなくbadな状態でスタートすることになるわけです
 
 
なので、昼間嫌なことがあったら、多少頑張ってでも寝る前に気持ちの整理をつけておいた方が良いのです
 
 
それと同じで、どれだけ調子が狂って(人間ですから不意に調子が狂うことはどうしたってあります)思ったようにいかなかった、ぐだぐだになってしまったとしても、最後だけはきっちり締める
 
 
そうすることによって、翌朝良い感じにスタートできる確率が高まります
 
朝より寝る前のほうが大事って言ったわけがわかったでしょう?
就寝前にきっちりできないと、朝も自動的にぐだるんです
 
 
 
正確には、朝にも同様の効果があるので、起きたら頭を一度リセットし、心構えを確認し直すことは大事
そうすることによって一日の過ごし方が全然変わってきます
 

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だけどそもそも夜がぐだってたら朝にそんなことする気になれない
もしくは寝坊なんかしちゃってたらそんな余裕もない、というわけです
 
 
僕は『朝活』の勧めをしていますし、朝のゆとりは一日の出来に直結する
 
しかし、その〝朝のゆとりを持つ〟ことの秘訣は、
前の日の夜にあったというわけですね
 
 
 
 
ほな!

コミュニケーションの極意。知りたくありませんか?

guts koporu takkaです
 
 
 
これを知ったら、かなり恋愛や人間関係が楽しくなる話
つまりコミュニケーションに関するお話を書いていこうと思います

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トム・ヨーク(レディオヘッドというバンドのフロントマン)』に関する記事を読んでいまして

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日本の女子高生が、ひょんなことから海外のbig bandのフロントマンであるトムにリツイートされ
(おそらく完全な気まぐれ)
 
女子高生は全然その人のこと知らないんだけど、周囲が驚愕して盛り上がりまくってる、みたいな記事
 
で、誰かがこう言いました
「全然その人を知らないような人の方が、そういうことに巡り会うものだよね」
 
 
 
 
 
 
これね‥惜しいんですよ
半分当たりですが、半分外れ
 
 
確かに『無邪気』なほうが〝そういったこと〟を惹きつけるのはほんとです
 
皆さんにも経験があるでしょう?
全然そんな気はなかったんだけど、コンビニで立ち読みしていた本をそのまま持って出てきちゃって、万引きみたいな感じになっちゃって慌てて返しに行った、みたいな経験が(笑)
 

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あれはね、『邪気』がないから逆に誰も気づかないんですよ
それが当たり前のように見える
 
でもね、今回の女子高生の場合だと、
たしかに『無邪気』ゆえにもの凄いものを惹きつけたけど、当人は全然その人を知らないわけだから嬉しさは半減ですよね
せいぜい「有名人??にリツイートされたらしいんだよね!」くらいの嬉しさでしょう
 
でもこれがたとえば福山雅治リツイートされた、だったら話は全然違ったはず
 

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(このネタはゲームをしない人にもわかるんだろうか)

 
 
 
ここからが本番です
 
じゃあ本当に惹きつけたいものを惹きつけるにはどうしたらいいの?
本当に惹きつけたいものは、もう好き過ぎて『邪気』とやらを消せないんじゃないの?
 
 
いいえそんなことはありません
それでも〝消す〟んですよ、その『邪気』を
 
 
それを〝コントロールする〟ことは可能なんです
ちなみにこれは恋愛なんかでも応用可能なテクニックです
大好きな彼を、彼女を射止めるには、純粋なその気持ちがすべてだと思いますか?
いえいえ、それはかえって重くて迷惑かもしれませんよ
 
 
さあ、ではどうすればそれはコントロールできるのでしょう?
 
僕は基本的には情報を出し惜しみしませんが、
コンサル業もしていますので今回はここまでにしておきましょう
そのへんのことももちろんコンサルティングしますので、
気になる方はfacebookメッセンジャーまでご連絡を
 
 
 
でも大サービスでヒントを書いておきましょう
 
〝学校で教えられた道徳〟みたいなのは通用しない世界です
 
そして、あなたの『内側』が見えていないと思っているのは、あなただけです
 
 
勘の良い人なら、もしかしてこれだけでわかるかもしれないですね(笑)
 
 
 
連絡待ってます.。.:*♡
ほな!

リアルタイムな情報を取るために会いに行く。が、その前に本を読め!

こんばんは
guts koporu takkaです
 
 
 
ひとつブレイクスルーしたお話をしましょう
 
結論から言うと、
やはり本を読むことはもの凄く大切だ、ということです
 

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個人的に本が好きで仕方ないのもありますが、本を読むことの大切さを繰り返し説いてきました
その一環として本の紹介もしてきました
(書評blogではないのでやり方は試行錯誤しながら変えていますが)
 
 
一方で人と会うことの大切さ、それによる物事の加速も決して否めない
否む必要もないし、間違いないことなんですが
 
 
 
 
ではどのように使い分ける、もしくはどういったプライオリティ(優先順位付け)で行うのが投資効率がいいんだろうか?
(〝本当に会いたい人〟に会いに行こうと思えば、交通費などそれなりに費用がかさみます。少し前まで僕は北海道にいましたしね)
 
そのへんの答えが出ていなかったのが、出たということです
 

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結論はやはりまず本です。浴びるほどに読んでください
効率よく良い本を見つけられるようにはなりますが、
やはりそれは量を通過してこそ
作家の石田衣良さんが、
「ある程度本を読むと、次に読むべき本が語りかけてくる。匂い立つ」
 
と言っていたのが印象的でしたね
僕、石田さんの本ってそんなに読んだことないんですが、この人の言葉を持ってくることがなぜか多いです(笑)
 
 
 
 
そしてただいたずらに人に会いに行こうとしても、
それまでの価値観で世界を見渡したところで、
〝自分と同じような人〟しか見えないのです
 
地元の仲間、とかね
 
 
 
それではいつまで経ってもそこをぐるぐるするだけ
しかし残念ながら、その枠を越えている人たちに〝気づけない〟のです
そういう人が存在していても〝見えない〟
 

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そのために本があるのです
何年、何十年という時間を経て練られた知が、高くても1500円とかで手に入る
はっきり言って安過ぎるくらいです
これだけ投資効率がいいものは存在しないと言ってもいいくらい
 
 
 
 
本を読むことでそれまでの価値観が崩れる
意図的に別の視点を持つことができる
そういう世界があったのか、と発見できる
 
そうした段階で再度周りを見渡して初めて、
〝いままで気づかなかった人たち〟の存在に気づく
 
「え、こんな凄い人たちいままでどこにいたの?」と
ずっといたんですけどね、もちろん
 
 
そうしたうえで発見した人たちに会いに行くのであれば、
本をただ読んでいるよりも何倍もの経験知が得られる
本にはいつの時代も変わらない真理も多く含まれていますが、
時代とともに風化していってしまう情報も多いですからね
 
たとえば、僕はとある〝ユダヤの成功本〟を読みました
(かなり有名なやつだと思います)
 
そこには僕がまだ持っていないものがたくさんあったし、
時代を重ねても通用するようなことがたくさん書かれていました
 
しかし『パートナーシップ』に関する話だけは、もちろんパートナーシップ、
というより家族関係に関する真理としては通用していくのかもしれませんが、
女性が家庭に入っていた時代と、現代の〝経済状態に関係なく男女ともに働く時代〟では根底から変わってくる話だな、と感じました
 
こういうことに気づくためにも、ひとりだけに傾倒するのではなく意図的にいろんな人の考え方に触れることが必要ですね
 

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リアルタイムな情報を得るためにはやはり人に会いに行くこと
例に挙げた〝ユダヤの成功本〟の人だって、いまは別なことを考えているかもしれないのです
 
 
 
 
わかってたようで整理し切れていなかったことがストンと腑に落ちて、こうして説明できるレベルにまで落とし込めてよかったです
あなたのお役に立てることがあれば幸いです
 
ほな!

心の底から愛するものから解き放たれるということ。究極の自由とは

こんばんは

guts koporu takkaです

 

あなたには、好きなものや趣味はありますか?

または、それ自体を仕事にして、一途に、命懸けで取り組んでいる人もいるかもしれませんね

 

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今回のテーマは〝好きなものから解き放たれること〟です

 

執着を断つ、というなかでもいちばん難しい類いのことではないかなと思います

または、微妙にニュアンスが違うのかもしれません

 

 

僕は、長らく「音楽が人生のすべてだ」と考えていました

それはいまでも変わっていないと言えます

 

 

思春期にどうしようもない無気力状態に陥ったときも、音楽だけが僕の生きるよすがでした

何を見てもつまらない。何をやってもつまらないけど、心奮える音楽との出会いがあるから生きていく意味はある

そのくらいに僕は音楽に救われていました

 

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社会に出て勝手に絶望していたときも、俺は音楽をやるんだ、あいつ(当時の大親友)と音楽をやるんだ、という希望だけが僕を走り続けさせました

 

 

自分の行いに足元をすくわれ刑務所へ行き、一生の友だと思っていた男と音楽をする道を断たれ、目の前が真っ暗になったときも

結局僕は音楽を断ち切れず、独りで行くことを決め、人生の新しい扉が開けました

 

 

 

話は少し前後しますが、収監前の数年は、浴びるように音楽を聴き、現場にも出向きまくり、playに関しては全然場数は足りていないけど、liveをさせてもらったりもしていました

 

 

刑務所のなかでは自分で選んで音楽を聴くことはできなかったので、

(刑務所側が決めたラジオ番組や、限られた時間のなかで音楽を聴くことはできます

 また、慰問に来てくれる人の音楽を聴いたりね)

 

〝音楽が好きだから音楽から離れる〟という経験が、半強制的にではありますができました

その間は、勉強や読書に没頭していました

 

 

 

そして出所後、解き放たれた僕はまた音楽をどんどん聴き、どんどん現場へ出向きました

しかし、徐々に「まずは必要最低限の暮らしができるお金をつくることを優先させよう」という考えに移行していきました

この〝必要最低限〟とは、生活ができるという意味ではなく、きちんと自分や家族の欲求を満たしてあげられるだけの、という意味です

 

たとえばハリウッド俳優のシュワルツェネッガーは、俳優として成功する前からお金持ちでした

彼はもともとボディビルダーですが、その経験を教材として販売し、一財を築いてから俳優業の研究に没頭し、成功しました

僕はそのロールモデルをトレースしようと考えています

 

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ただ、音楽への愛はいまだに変わりません

つい先日、『数秘』という技術で生年月日などの数字からいろいろ視ることができる女性に、「あなたは将来音楽や、芸術面のことをしてください」と言ってもらい、心の底から嬉しく思いました

 

 

その後『サマーソニック』という音楽フェスに行ったときに、その瞬間は訪れました

僕はある特定のアーティストを観るために行ったのですが、そのアーティストのlive中に、いろいろな理由から

「途中だけれど、帰ろう」と決めました

 

十分に堪能したというのもあるけれど、本当に好きなアーティストなので最後まで残るかかなり考えました

しかし、

「音楽を心の底から愛しているから、音楽から解き放たれたい」

 

という言葉が、脳裏に浮かんだのです

心から好きなものがある、ということはとても幸せなことだと思います

しかし、ゆえに不自由でもあります

 

 

それが義務化してしまっては楽しむことはできないというのは

〝音楽を意図的に断つ〟ということをしていたときから気づいていましたが、

もっと‥もっと完璧に自由になりたい

 

 

愛するものから、自由になりたい

そう僕は考えました

冒頭にも書きましたが、執着を断ち切るという意味では、ある意味究極のかたちではないかと思います

 

 

僕は音楽をいまでも愛しています

そういう意味では、執着が断ち切れたのかはわかりません

しかし執着を断ち切るというのは諦めることと同義ではないと思うし、

〝それ〟を意識し現実に行動として行ったことで、意識のステージが変わったことは間違いないな、と感じています

 

 

愛するものから自由になる

あなたは、どう考えますか?